月曜から入院してますので、今日で5日目。
黄疸が出て、数値が上がったり下がったり、来週の月曜日には血液検査して退院なり居残りなりが決まるのでした。
入院前、沈黙の臓器「肝臓」は、どうやって治療して良いかも分からず、友達の買って来てくれた「しじみの味噌汁」を飲んだり、マイブームのお茶漬けとおむすびで栄養を取ったり、たんぱく質は鶏肉と具合の悪い時に食べたくなる「お寿司」で、あとビタミンは必要よね?とカボチャやらさつまいも、じゃがいもと玉ねぎの味噌汁おいしいもんね?とそんな感じで過ごしておりました。
これに軽いストレッチとか出来たら素晴らしいのですが、未だドレーンの管で囚われの身、右胸下の10センチほど肝臓に伸びた管が抜けるリスクを冒してまで運動系は無理だろうと判断した大人のわたしは、ひっそり大人しく暮らしておりました。
安否確認(笑)のため本日LINEをくれた友2人には「月曜から入院してます。元気になってご飯も食べられてます」と返事をしましたところ、「びっくりしたけど、家にいると何でもやっちゃうから入院していて安心した」と、なんとも本末転倒なことを言われております。はい。ふだんの不徳のいたすところでございます。
月曜はだるくてたまらなくて(肝臓の不調は倦怠感に現れるらしい)徐々にご飯を食べられるようになり、抗生剤も効いてきて、最近入院生活もひまになったわたしはFacebookでこんな動画を観ています。
(たぶん)タイ(カンボジアに訂正)の郊外の村で、住んでる人がひたすら料理を作り、それをみんなでわいわい食べるというもの。
実際ここに住んでる人たちなのかは分かりませんが、その手際の良さ、下ごしらえの丁寧さ(他の動画でも、もやしのヒゲを大量に外していました。)慣れた包丁使い、
なんてったって作る時もイキイキしてるし、手を使ってわしわしぐんぐん食べ進む様も、飽食の時代が続き食のありがたさを忘れ勝ちなわたし達に、ふと立ち止まる時間を与えてくれる、そんな動画でございます。
今回の動画は、きっとお祭りとかお祝いのハレの席でのものでしょうが、ふだんのご飯も、鶏肉や魚、貝や海老、それらに辛さをつける生姜や唐辛子、味噌風の何か、様々な香草、途中入れる茶色のものはブラウンシュガーなのかな、緑のすだちみたいなのが酸っぱさを出すんだろうなと想像しながら観るのも楽しいです。
10日ほど前から始まった副作用の脱毛。
前の時は案外スパーンと抜けて感傷に耽るひまもなかったのが、今回はじわじわ~んと来て、初めの頃はまるで、ケア帽子がずれる度に、首狩り族のいっちばん力の弱いヤツに ひっぱられてるような不快感がありました。
入院前に何故バリカンで刈ってこなかったのか?と気分だけはGIジェーンのわたしは、ナースステーションで借りたコロコロを手に枕やらベッドをコロコロしてるのでした。
食べることを考えられるのが、わたしの治り方のバロメーターなのかもしれません。
朝起きて鶏のときをつげる声を聴き、料理を作りわいわい食べる、そんな暮らしをしている人たちが世界にいるのだなと、そのシンプルさと郷愁をさそわれる存在に、今日もまた引き込まれてゆくのでした。