サンシャインのブログ






結婚に血眼になっている男女は


巷にあふれています。



特に最近は婚活などという言葉が


踊っています。



ところで、


結婚を自分の人生の中で


いかに位置づけるかは


その後の自分の人生を


決定づける大きな要素となります。



よく結婚に最高のものを求め、


最高の幸せをつかんだつもりが、


いつの間にか、数年もたたずして


最悪のものになっていた、


ということがおうおうにして


有るものです。




その理由は、


実際には


結婚は単なる一里塚に過ぎず、


二人にとっての


始まりに過ぎないのです。


完璧なものはそこには何もありません。




大きな誤解をしている方が


多いということです。



一つは婚活で、


その"人となり"を


見つけるのではなく、


その人の見た目の条件を


見つけているにすぎないからです。



それは、


相手の裕福さであったり、


学歴であったり、


相手の就職している企業の


将来性であったり、


相手の家庭の


格式であったりなどです。




もちろん、


それらはよいに越したことは


ないのですが、


それらはおうおうにして


自分の将来を


裏切ることが多いようです。



なぜなら、


今日社会は不景気な場合が多く、


旦那の就職口が


倒産、破産のうきめに遭うことは


少なくありません。



また、


近年、ネットなどでは


出会い系の誘惑は


巷にあふれています。




条件はそろっていても、




どちらかが



博打好きであったり


暴力男であったり


優柔不断であったり、


浮気性であったり、


様々です。



家庭ができてすぐに改善できる


代物ではないのが普通でしょう。




家庭を不断によくしていこう、


家庭の人間関係をよくして行こう、


子供の育児教育をできるだけ協力し合って


よくしていこう、


などという気風、


家風を育てていこう、



などということは


結婚ですぐに備わるものではないからです。



そのため、


受け身で人生を歩めば


いつ、


離婚話が出てくるかわかりません。




そういう時にこそ、


結婚のあり方を


自分なりに確立しておくことが


求められています。




選んだ条件は


あくまで条件に過ぎないので、


そのままでは


それが失われれば


離婚するしかないのですね。




そこで


相手の何を愛していたか、


好きだったかが


問われてきます。



結婚は墓場とか、


金の切れ目が縁の切れ目とか


当たり前のように


叫ばれる所以になっています。



あるいは


性愛の単なるテクニックだけに


走ってしまう場合もあります。