安定した温かい愛は
愛の錯覚からは生まれ得ない。
一時的で衝動的な愛は
誰をも経験するところだ。
では安定した温かい愛は
如何にして培われるのだろうか?
お互いのくい違いは
誰もが経験済みのことだろう。
そこからけんか別れになることも
誰もがよく出くわす事柄だ。
愛の錯覚、衝動的な愛と、
安定した温かい愛との間の架け橋は
いったい何なのか?
これが今回のテーマだ。
痘痕(あばた)も靨(えくぼ)とは
錯覚した熱病的な愛のことだが
それは多くのハードルが待ち構えていることは
儚い愛のテーマで述べさせていただいたが
これらのハードルを乗り越えていくためには
人生のハードルを乗り越えていくことと
ほほ同様であり、
自らを成長させていくプロセスでもあろう。
そのように捉えることができるなら、
人生において誰もが経験することである。
別離、別れ、
破綻のきっかけ、
原因、理由の内容を
よく吟味することだ。
その前に、
現実にはその瞬間、
ある感情、激情がわき起こるはずだが
それを眼前に表出させる前に
未然くい止めるだけの
辛抱強さがまず不可欠だろう。
これが人生においては幾度となく起こり、
これが起こっては悔い、幾度となく繰り返し
もう二度と繰り返さないと心に決心するまで
どれだけの年月が過ぎ去ることだろう。
人はお互いの食い違い、
違和感、利害の衝突、
性格の不一致、
お互いの無理解、など
これらのことに神経をいらだたせ、
必要以上の波風を立ててしまうのだ。
其処では
たいして大事でないこと、
些細なこと、
あまり価値のないこと、
非常に大事なこと、
人生上不可欠のことなど、
うすうすその違いについて
理解はしているのだが、
その程度に応じて、
感情の表出の程度を
コントロールすることに、
あまり慣れていない場合が
頻出する。
些細なことを瞬時に見分け
寛容な精神でもって
大目に見るとか、
それこそ
彼、彼女に対する愛に免じて
許してあげるとか、
愛で包み込むだけの
心の広さが求められるのだろう。