1.やって良かったと思うこと。
2.やらなきゃ良かったと思うこと。
3.やらなくて良かったと思うこと。
4.やっときゃ良かったと思うこと。
こんな思い、誰しもした経験があると思う。
ただ、4のやっときゃ良かったこと以外は
自分の決断で行動した結果。
やっときゃ良かったのは、様々な理由があるだろうけど行動に移さなかったことに対する後悔。
ボクはこの後悔だけはしたくないと、ある日から思うようになって、
どうしようかな?
と迷ったり、
どっちにしようかな?
と決めかねた時は、
とりあえずやってみることにしている。
その後にそれが失敗とか、思った結果でなかったにしても、
そこから次の展開に向かって動くことができるけど、
やらずに逃した失敗や後悔は戻ってやり直すかとができないから、と思うようになったから。
じっとやらずに時をやり過ごして、
後に悔やんでも何も変わらない……だけならいいけど、
自分の結果は変わらなくても世の中の、
自分の周りの展開は止まらずにどんどん変わって行く。
やっときゃ良かった、で自分の表面的なことは変わらずとも、仮に「やっときゃ」に対象物があった場合に、その対象物は変化する。
良くも悪くもだ。良い方に変化すれば悔いが残り、悪い方に変化すれば、やらなくて良かった、となりそうだけど、そこはやっときゃ自分が悪くならないようにできたかも知れない。
今、並行して「記憶旅行」という回想録を書いてますが、
やらず終いで後悔することの虚しさを学んだことをちょうど書いています。
過去を語るも、未来を描くも、
今を如何に生きるか、今を如何に考えるかで決まり、今決めて、今やらないと過去も未来もどうにもならないと思うんです。
「やらないでおく」という決断もある意味、過去にから培った経験値からなる判断だと思うので、それすらも自分で決めて自分でやったうえでの価値ある判断だとも思うし。
今の積み重ねが
過去から未来に進むうえで
常に今を生きることに
尽力しないと
何も成せない。
と思います。
薄いコピー用紙の側面が今のようなもので、
何枚も何枚も重なって数センチの厚みになるのと似ていて、
今の積み重ねが自分の歴史になる。
そんな感じ。
今を生きるって言うのは
年がら年中必死に生きるというのとニュアンスが違って、
自分を意識しながら他力本願にならない。
そんな感じじゃないかと思うんです。