小学校とか中学校に通う、
義務教育を受ける時期、要は若いうちから
自分がやりたいこと、なりたい職業が
はっきりしていて、
人生の目的が定まっている人というのが
羨ましく思う。
中には途中で軌道修正する人もいるのかも知れないけど、
"人生を賭してやりたいことがある"って
素晴らしいと思う。
半世紀以上も人として生きていて、ボクにはそういった人生を賭してやりたいことがない。
とはいえ無気力というワケではないし、
欲しい洋服もあれば、食べたい料理もある、
欲望には事欠かない普通の人だと自分では思ってる。
職業に関して言うとボクの生きてきた時代というのは、
ひとつの会社に決めたら、定年を迎えるまで頑張って、多少の理不尽は我慢して、
世間からマジメでちゃんとした人と思われるような人生が立派だという固定概念に近いものがあって、
それに従えない人は落ちこぼれ、みたいな価値観があったように思う。
そんな時代背景だからというのもおこがましいが、その理想とされる人生を歩めず、
見事にドロップアウトしたのがボクの半生。
どう贔屓めに見ても、まともとは程遠い人生を送ってしまった。
「あのとき、ああしていれば」とか
「こうしたいれば」という思いはある半面、
ドロップアウトした自分の人生も
まんざら捨てたもんじゃない、というか、
ほかの人には真似したくても真似できない人生だったと思えるようにもなっている。
(真似したくなるような人生ではないが)
学校での勉強ができたでもなく、社会に出て特殊な技術を身につけたでもなく、
転職を繰り返しながら今に至って、ようやく現在の仕事で転職しないで十数年とまではきたけど、
現在の仕事を続けてて納得できる日常を送れているかと考えるとそうでもない。
むしろ昨今の社会事情も加味されて生き辛い日々のような感覚がある。
ドロップアウトした勢いもあって、20代、30代、40代前半くらいまでは多分誰にでもある、欲望というものもあったので、
がむしゃらに生きた時期もあったし、興味をそそられる事に対しては好奇心もあった。
ただボクには一貫性というか、生涯を通して何かを成すという大志のようなものが無かった。
絵を描いたり、字を書いたり、モノを作る、いわゆるDYI的なことも好きで、
掘り下げて極めてみたいことはそれなりにあった。
それよりも、金さえあれば殆どのことは何でも叶うとばかりに、セコい金儲けに走ったり、毎月の収入と支出のバランスが保てず、
お金を稼ぐことばかりに翻弄されてたように最近ようやく気づいた。
そう考えると転職しなくなってからは経済的には安定してはきたものの、
自分がホントは何がしたくて、どんな生き方がしたいのかという大事な部分に触れることをしなかったように思う。
むしろ金さえあればそれさえ何とかなると考えていたのかも知れない。
時代ごとのボクのエピソードは今後に譲るとして、
ボチボチ自分の人生のゴールが見えようかという今になって、
何のために金を稼いで、何のためにやりたくもない事を我慢してやって、
誰に認めてほしかったのか?
と考え直してみたら、
小さなやりたいことすら後回しにして周囲に認められるように自分を押し殺して生きてきたように思えた。
正直、資本主義社会においては、お金は必要不可欠だけど、それだけのために翻弄されてその時にしかできなかったであろう挑戦もしてこなかった。
特別大きなことは望んではいなかったけど、
絵を描くことも、字を書くことも、何か作ることも、やってみたくはあったけど後回しにして出来ず終いで今に至ってる。
そろそろいいかな?
って思うようになって、これまでやってきた一貫性のない人生であっても、
これからやりたかった事を掘り下げて没頭していくにあたって、何かの役に立つ経験値くらいは身についてるだろうと思い直し、
これから先の人生の軌道修正を計っている。