実際に経験、体験したワケでもなく、
説明や表現も難しく、
とにかく形として目に見えないから、
証明したり決定づけたりできないからだろうけど、
"スピリチュアル"とか"奇跡"、"運"とかいったものは
とかく胡散臭がられる。
唯物論者、即ち目に見えるモノや事、
形として説明、証明できるものしか信じない、
そういったものでしか判断できない人っていうのは相当いると思う。
ここ数年で"風の時代"と呼ばれるようになってきて、
人々の感覚とか価値観が少しづつ変化しているように思うこの頃だけど、
それすらも唯物論者的には単なる気のせいと捉えてるんだろうか?
唯物論を否定するつもりはない。
ないけどそれだけが、全てで正しくて絶対だと思い込んでいるのは違うように思う。
身近なところ、ありがちなところで考えてみると、
変な例えだけど、オナラは臭いけど目には見えない。
それと同じように、食べものにはそれぞれ匂いがあるけれど、
甘い匂いも、辛い匂いも、しょっぱい匂いも実際には目には見えない。
翻って、他人から親切にされたり、逆に意地悪をされたりした時の気持ち、
これも目には見えない。
もっと言うと頭で描いて、心で考えて
気持ちや考えをあたまの中にしまっておくことは少なからず誰にだってあるだろうし、
想像するという行為も誰にだってあるはずだけど、これだって唯物的ではない。
目に形として見えないモノ以外でも存在するモノはあるということが理解できるだろうか。
そして上記の事やモノを判断して決定しているのは、それぞれの感覚による判断結果なので捉え方にもそれぞれあるだろう。
この感覚というのはよく言う人の五感によるものだと思うんだけれど、
直感とか勘というのは、なんとも説明し難いけれど、簡単に言えば五感以外のいわゆる世間で言うところの第六感的なものじゃないんだろうか?
また例えになるけど、人が異性を好きになる時っていうのは、
"見た目"もあるだろうけど、概ねこの感覚的なものが先に立っているんじゃないか、と。
って言うのも、確かに見た目や容姿は好みがあるから、それに基づく判断って言うのもあるけど、それは先に述べたように後付けの理由のようなもので、
感覚的に異性を好きになった瞬間というのは、単純に好きという表現以外の可愛いとか綺麗とかスタイルがいいといったものは、後付けの理由で、
それが何故だかわからなくても、感じのよさが一番最初の感覚じゃないだろうか?
その先で恋愛に至るか否か、
間違いか否かは別として、
その時、その瞬間に感じた一瞬の感覚っていうのはまさに第六感のような気がしてる。
ちょっと壮大は話しをすると、
宇宙は、いや地球でいいか、
地球はもともと海も山も生き物もなく、
ただの丸い塊だったんじゃないかと思ってる。
それが水と油のように、軽いものは浮いて、重いものは沈んで、
グチャグチャといろんな要素が繰り返されていろんなものに分離されていって、
海がてきて、山ができて、生き物ができて、
いろんなものの姿に細分化されていった結果が今なんじゃないか。
そう考えると、もともとはひとつであった塊の一部がヒトというものであり、
始まりは単一のひとつの塊だったとすると、
感覚や勘、もっと言うと偶然という必然もなるべくして成っている。
もともとひとつなんだから、なんとなくわかってしまうことも、
おかしいことではないんじゃないか?
もともと地球というひとつの頭から分離していったのだから、複雑にはなってても繋がっていて当然なんじゃないか、と。
スピリチュアルとは言えないけれど、
この世の不思議さを真剣に考察してみた。