幸福について | 風丸の駄文

風丸の駄文

いろいろと駄文を重ねてます。
共感、反論あるかと思いますが、ご容赦ください。



御殿とか屋敷と言われるほどの大邸宅に住み、最新鋭の家電品を揃え、

どこそこのアレが旨いと言っては買って食い、

最高級の車こそが自分のステイタスで、みんな見てくれよ、と言わんばかりに乗り回し、

新しい製品が出れば、ようやく使い慣れた製品でさえ古くなったからと買い換え、

型落ちしたからと車を乗り換え、

他人より優位に立っているとの実感を味わうことばかりに囚われ、

俺が常識だと言わんばかりに非常識を働く。

全てはカネで解決できると信じて疑わず、

個人主義、優越感に邁進する。



それって、幸福と呼べるだろうか?

貧乏人の妬み、僻みと言う人もいるかもしれない。

どう思われようが構わないが、私は一時期、億に近いカネを手にし、それなりに贅沢もし、個人レベルでは結構なバブルを味わったし、それなりの人間関係の甘い辛いも同時に味わった。

自分と自分以外の周囲の人とをカネやモノで計ることは間違いだと気付き、してはいけないことだと悟った。

まんまとメディアや流行り廃りの情報に流されてるだけだとも感じた。

他人を蹴落としてまで出世して、力で押さえつけて、覇権を振るって、それで満たされるのか?

後ろめたさは感じないだろうか?

少なくとも私は、そういった部分では満たされなかったし、後ろめたさも引き摺った。

オマケに大切な人まで失った。

しかし全ては後の祭りで、気付いた時にはホントに大切なモノは何もなかった。

幸福ってそんな自尊心を満たすだけのモノで味わえるモノではない、ということに、

割りと早く  と言うか生きているうち、身体の動くうちで良かったと今さらながらひしひしと感じている。


旧車と言うカテゴリーで、古い車を修理したりカスタムしたりして楽しむ趣味。

大したことではないけど、雨に濡れて困っている人に傘を貸した。

子どもの頃に買ったステレオに愛着が湧いて、古いステレオを修理しながら長く使う。

自分にしかない自分の歴史の中に、ホントの幸福っていうのはいくらでもあるんじゃないか、と実体験を通じてしみじみ思う。


大量生産、大量消費、次から次へと新製品が市場に出回り、

それに乗り遅れることが幸福を逃すことのように、猛スピードで回る資本主義社会のサイクルに必死にしがみついて、それに合わせて生きる。

そんな時代は過ぎた時代、そろそろ社会とともにホントの幸福、満足っていうのを見つけ、感じて、満喫していく時代、

そんな時期にきているんじゃないかとマジメに考えています。