迷い事がある時は、「金猫堂」に行くがいい。

きっとよいお告げがもらえるに違いない。

 

この町、S市に住んでいる者ならば

一度はこんな話を聞いたことがあるだろう。

 

 

S市は、山と海に囲まれた港町で

古くから海外に門戸を開き

西洋や中国との貿易の要衝として栄えてきた

ハイカラな町である。

 

 

「金猫」とはこの町のどこかに祀ってある

猫の御神体のことでこの界隈の守り神である。

 

 

そのどこかというのが問題なのだ。

誰でも名前は知っているが

場所は一般には知られていない。

地図にも載っていない。

 

それでも人々は訪ねていく。

 

 

町の中心から離れた

小高い丘のふもとにそれはあった。

 

 

最寄りのバス停からしばらく歩くと

緑の木立の中に石の階段が見えてくる。

 

 

 

その階段を登って行くと

円形の二重のお堂が立っているのだ。

 

お堂の前に一人の若い娘が立っていた。

 

臙脂色のワンピースを着て

前髪を眉の上で切り揃えた柔らかな髪をしている。

 

こんな所に一人でいるのだから

金猫堂を訪ねてきたのに違いない。

 

 

UnsplashClay Banks

 

ところが彼女はまだ迷っている様子だった。

小さな声でぶつぶつと呟いている。

「右だったかな。左だったかな」

 

 

なるほど、お堂には正面から見て

右と左に入口がある。

 

彼女は思いだそうとすればするほど

焦ってよけいに混乱しているようだ。

 

 

「決して忘れないように」と

念を押されたにもかかわらず

ここに来て大事な決まりを

忘れしてしまったのだ。