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今日は午後から2月9日のチャリティーライブに向けてのリハーサル。まず間違いなく、そのあと飲むので、今のうちにブログ更新。




サークルになかった新しいチャレンジとして、オクターブ発声を考案した。
どうしても、アップこんな感じで音を引っ張りあげる歌い方が多く、やはりコーラスをしている関係で、
ポン!てな感じで出していかないと、そろわない。



山本君を始めとした一年生だけでなく、二、三年生も初体験だった。
ただ、二、三年生は春合宿から取り組んでいたから、慣れてはいたと思う。


40名の声を合わせるのは、半端なく大変だ。


一人ひとり声質が違うのだから、当たり前の事であるし、また、それが個性なのだが、コーラスの場合はそれでは困る。


ユニゾンなのに、幾つかの音に聞こえてくる。


各パートの声に一体感が出るようになるまで、発声練習から正確な音取り、そしてパートでの歌いこみ、全体での合わせ。
曲が仕上がるのは、このバックバンドと一緒の全体練習で、どうアンサンブル、バランス、パートの駆け引き、曲想を作り上げていくかなどなど。


突き詰めればきりがなく、かと言って妥協すればノリもなく気持ち悪い。



つくづく大変な事をみんなでやっていた。

それに加えて僕の大の苦手な振付が入る。
合唱と違って振付をしても音程がブレないようにしなければならない。




第五回定例では、先輩方への恩返しに、少しでもレベルアップをし、関フォー連から声がかかるぐらいになろう!と、鼻息を荒くしていた。




その中でのチャレンジ曲の一つが、コットンフィールズだった。ペタしてね
~山本君からのメッセージ~




学園祭のもう1曲は村山がやりたいと言ったフォガットのホームインマイハンドだったかと思います。

メンバーはサイドギターに村山

♪ドラムにサザンロックの加藤さんだったかと思います。


夏合宿は哀愁のヨーロッパ以外記憶ないな♪ロックンロールでアドリブやったかも




あの頃、世界三大ギタリストとか日本三大ギタリストってのが良く話題になっていた。

世界ではジミーヘンドリックスが亡くなり、その後にはジミーペイジ、エリッククラプトン、サンタナ、リーリトナー、ジェフベック、リッチブラックモア、ロイ・ブキャナンなんかが頑張っていた気がする。



ウェキペディアによれば、1975年のシンコーミュージックから「三大ギタリストの探求」が出版され、クラプトン、ジェフベック、ジミーペイジを取り上げたらしい。



日本では高中正義、チャー、故大村憲司、和田アキラ等が実力派として活躍していたのではないだろうか。

大村憲司のギタープレイを、僕は中学生の時に間近で見た。彼は1971年に赤い鳥に参加している。それを見たのだ。ドラムがなんと村上ポンタ秀一、キーボードに渡辺俊幸が加入していた何とも贅沢な演奏を、最前列で見ていた。

あの時の大村憲司のヴァイオリン奏法はいったいどうやっているのか、フォークギターをやっとこさ弾き始めた僕にはさっぱりわからなかった。ペタしてね
新しい年度が始まり、大学にも新入生がやってきた。その中の一人に??不思議なメンバーがいた。
フォークギターでCharのスモーキーを奏でて歌っていた。声は個性的だが歌は…。
しかしギターが上手い。なっ!何者!それが、今、ハートビートラバーズのメンバーの山本君だった。
彼の代は男子三人、女子が5人と、少なかった。不思議な事に男子三人のうち楽器が出来たのは山本君だけだったと思う。
後に、村山君が加入してくれたが、スタートは少なかったが貴重なメンバーとなる。

山本君との思いでは彼自身がこれから投稿してくれると嬉しいのだが果たして・・・
彼とはサークル内で夏合宿にバンド発表を一緒にやった。
ドラムには先輩の磯野さん、ギター山本君、そしてベースは僕。サンタナの哀愁のヨーロッパをやった。
他にどんな曲をやったっけ。

秋の学園祭。サザンの勝手にシンドバット、これは山本君が歌った。レッドツェッペリンの天国への階段、これは僕がシャウトした。
思い出せないのは、バンドの他のメンバーだ。




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