いろんな人生がある
オットが出張とテニスでほとんどいなかった5月はいろいろあった。
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孫2号、娘の長男は1歳になった。盛大なパーティを終えて、その午後の便でおじいちゃん(オット)はまずはドイツへ。その後はプライベートの事情でデンマークへ数日滞在。
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テニスの友達にやっかいなガンが発覚。
バリバリテニスしていた人で、プレーしすぎで腕の骨が折れたのかと思って外科に行ったら骨折ではなく、まったく眼中になかったあるガンを疑われて速攻いろんな検査に回された。腕がズキズキ痛かったのはすでに癌が骨に転移していたっていう、細胞の癌。今はすでに治療に入ってる。彼女はまだ子供がミドルスクールとエレメンタリーだから事態は深刻だ。家族はみな動揺しているし、近辺の友達もあたふただ。当の本人はかなり落ち着いていて、それだけが救い。
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去年亡くなった近所のD 、あの日からこの5月末で、あっというまに一年経った。
奥さんであるS、彼女はほんとによくやっている。How could she do that???って、会うたびに思ってた。この一年、あれこれの”彼が居ない初めての…”ってことがたくさんあった。去年のサンクスギビング前の彼女の誕生日、クリスマス、息子たちの誕生日や大学、そして長男の大学の卒業式。そうだ、この春は彼女はアメリカ市民権を取ったんだった(彼女はカナダ人)。私のオットが去年、トランプ返り咲きにおののいて11月に市民権を取ったのに触発されて、あの時に申請してて、やっとこの4月に彼女の番になっていたのだった。そしたらなんと!そのプロセス期間の3月に彼女はレイオフされてしまった。もし、カナダ国籍だけだったら強制送還の危機(大げさだけど)に遭っていたかもしれないけどギリギリセーフで4月に市民権を得た。
アメリカにいるカナダとメキシコ人口は多すぎるから申請してもなかなか順番が回ってこないんだけど、去年11月に申請していてほんとによかった。今じゃ数年はムリなんじゃないかな。しかもいま無職だし。
で、彼女はレイオフされてふっと立ち止まった。ここで一気に疲れが出て、職探しもせず、しばらくすべてを投げ出したいって、1か月ほど、息子たちがいる大学(メリーランド)近くにAirbnbしていた。そして長男の卒業式に合わせてカナダからおばあちゃんがメリーランドで合流し、息子たちも併せて父親の命日に合わせてココに帰ってきた。
Dの病気が発覚してから亡くなるまでの1年間もそうだけど、彼女の誕生日、市民権を得た日、母の日、はたまたゴミ出しでばったり出くわして立ち話して一杯玄関先のポーチで飲むなどなど、事あるごとに彼女と一緒に過ごして心の変化を目の当たりにしていたけど、彼女は強いなって、ただただ感心するばかり。
S『Dが居なくなって、沢山の“初めて”を経験している。あらゆるシチュエーションでDecision making (決断)に迫られたり、息子たちがいるメリーランドまで初めて自分一人でドライブしたり、急に温水がでなくなってあたふたしたり、家の中のちょとした不具合に遭遇してイラついたりDを恨んだり。彼が居なくなってからあれこれの初めてを経験して私は強くなった(前から十分強かったのよ、彼女!)。私は自分を誇りに思う、I am proud of myself』と。
母の日に友達数人と過ごした時に言ってたっけ。あとこれ、『I'm too young to be a widow/未亡人になるには若すぎる!』ってDの事を怒ってた。ほんとだわ、彼女はまだ52歳!こんなきれいで働き者の奥さんを残して逝っちゃって!って、ほんとだわ。
彼女はレイオフの際にseverance package ( 解雇手当?)をしっかり貰って8月末までは健康保険もあるので、今月から職探しをするっていってる。先週卒業した長男はやっぱりまだ仕事が見つかってないけど、しばらく息子二人がそばにいるから心強いとは思う。
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この週末はDの命日だった。ってことで、彼女の家には沢山の人がDを偲び、そして、Sと息子たちを応援すべく集まった。とにかく大勢集まった。Sは家族代表で皆にスピーチしたけけど、彼女の毅然とした態度に鳥肌が立った。この一年、彼女もBoysもほんとによく頑張った。
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いろんな人がいる。
頑張っている人を目の当たりにして日々エネルギーを貰っている。
みんなほんとすごいよ。