ふっきれた娘
娘はハイスクールを卒業したら、イギリスの大学に進学したいとずーっと言い続けていた。ドイツに戻るのではなく、どうしてもイギリス。アメリカの大学には死んでも進まない…とまで行っていた。
しかも、苦楽をともにしていた当時の友達と、『4年後に絶対にイギリスで会おう。一緒の大学に進もう』と、毎日決心が変わらないようにスカイプをしていた。ほんとうに4年間毎日だった…。
ハイスクール3年目の夏休みには、その友だちとイギリスの大学見学にもいっていたし、UCAS(英国大学共通入学手続き機関)への問い合わせから、試験の手続きについてもすべて自分達で検索させた。私達親がしたことは、資金繰りに関してだけ。
これが難関だった。
1.授業料は英国籍<EU国籍<その他外国人、と3段階で高くなる
2.娘はEU国籍だが、3年以上EU外に住んでいると外国人枠となり、授業料は年間£20.000になる(これは授業料だけ。寮や食事は別)
娘は4年アメリカに住んでいるので、EU枠にはすんなり入れない。夫は祖国(デンマーク)に不動産を持っていて、もちろん税金を払っている。これを提示したり、夫のアメリカの会社の人事に頼んで、『家族は父親の仕事の為にアメリカに移住してきた』と一筆してもらったがダメだった。夫の収入もなまじよかったから、奨学金ももらえない。中途半端なミドルクラスが、アメリカではいちばんバカを見るって思った。
ちなみに娘のドイツ人の友だちは、両親がとうの昔に離婚していて、彼女は母親とずっと一緒に住んでいる。そして、シングルマザーってことで学費がガクッと安くなった。でも、このお母さんの実家は元貴族。かなりのお金持ちだ。孫娘の為に援助も可能だろうけど、それはせずにシングルマザーの恩恵を受けて大学に援助してもらうことにした。
いいなぁ。なんとなく腑に落ちない。
お金の事とは別に、娘の成績にも問題があった。
ドイツでいくらギムナジウムにいて成績がよくても、移住してきていきなりハイスクール1年目でHonor(優等生クラス)に入れられて、授業に付いていけるだけの英語力が当初はまだなかった。よって、1年目は棒に振ったようなもので、ギアを入れ替えたのは2年目から。
ガンガン飛ばしてクラスを挙げていったが、最終学年の4年目の始め、奨学金希望やUCASへの申し込みの際にはGPA(偏差値)がまだ4.0にかろうじて届いていなかった。これも痛かった。
結局娘の進路は、イギリスの大学が2次募集をする夏休みあたりまで宙ぶらりんになっていた。あと1年早くアメリカに来ていたら、すんなりと願書だけで合格できていたかもと悔やんだが、これは娘も私もお互いに口に出さなかった。
結局イギリスの5つの大学に願書を出し、内3つがConditional(卒業時点のGPA次第)ということが去年の3月に知らされた。その後、卒業時点のGPAは4.0を越えた。あとは8月中旬までじっと待つのみだった。
この期間が辛かった。いつ通知が来てもいいように遠出が出来なかったし、イギリスに行くなら夫が付き添いだと決めていたので、彼も夏休みを取らずに準備していた。一番の犠牲者は次男だったかな。
そして、《イギリスの大学がどこもダメだったらアメリカの大学に行く事》と約束させていたので、一応バックアッププランはあったが、その大学は8月22日から始まり、8月15日までに入学の返事をしなければいけなかった。なのに、イギリスの大学からの連絡はまだない。娘はUCASに連絡をとったが、審査段階でまだ結果が出ていないとの返事。
これはもうダメだったんだと諦めることにした。
娘は部屋でしくしくと泣いていた。私はどうしていいかわからなかった。
とにかく、約束は約束と、アメリカの大学に入学手続きをすることにした。ギリギリの8月15日だった。そして学園のガイダンスは8月18日。しかしこの日、彼女が父親と一緒にガイダンスに出席中、イギリスから彼女のケイタイにメールが入った。
Congratulations!我が校に合格しました!
と、受かるはずがないと思っていた、難しいほうの大学からの合格通知が入ったのだ。
行きたくない大学のガイダンスを嫌々受けていた最中に、イギリスのあこがれの大学からの合格通知。
なんという皮肉。隣りに座っていた夫は、娘にしばらく何もいえなかったそうだ。
しかし娘はあっさりと、そのまま大学のガイダンスを2日間こなし、アパートも見つけて淡々として家に帰ってきた。しばらく経ってから彼女から『私はこのメールをもらったときに、初めてイギリスの事は忘れようと踏ん切りがついた。今からアメリカの大学に全力投球するって誓ったんだ』と聞かされた。
子供はこうやって強くなっていくんだと思った。
私と夫はこういう時、アメリカ人の親がよくやるように抱きしめて背中をさすったり、いろいろと慰めの言葉を掛けたりってことができない。私は彼女の好物を作ってあげたり、実家に帰ってくるときはベッドを整えたりすることしか思いつかない。父親も同じ。彼女の車を直し、車内に掃除機をかけ、ガソリンも満タンにしておいてあげるとか、こういう表現しかできない。
娘ちゃん、ママとパパは不器用だけど、とにかく応援しているからね!
しかも、苦楽をともにしていた当時の友達と、『4年後に絶対にイギリスで会おう。一緒の大学に進もう』と、毎日決心が変わらないようにスカイプをしていた。ほんとうに4年間毎日だった…。
ハイスクール3年目の夏休みには、その友だちとイギリスの大学見学にもいっていたし、UCAS(英国大学共通入学手続き機関)への問い合わせから、試験の手続きについてもすべて自分達で検索させた。私達親がしたことは、資金繰りに関してだけ。
これが難関だった。
1.授業料は英国籍<EU国籍<その他外国人、と3段階で高くなる
2.娘はEU国籍だが、3年以上EU外に住んでいると外国人枠となり、授業料は年間£20.000になる(これは授業料だけ。寮や食事は別)
娘は4年アメリカに住んでいるので、EU枠にはすんなり入れない。夫は祖国(デンマーク)に不動産を持っていて、もちろん税金を払っている。これを提示したり、夫のアメリカの会社の人事に頼んで、『家族は父親の仕事の為にアメリカに移住してきた』と一筆してもらったがダメだった。夫の収入もなまじよかったから、奨学金ももらえない。中途半端なミドルクラスが、アメリカではいちばんバカを見るって思った。
ちなみに娘のドイツ人の友だちは、両親がとうの昔に離婚していて、彼女は母親とずっと一緒に住んでいる。そして、シングルマザーってことで学費がガクッと安くなった。でも、このお母さんの実家は元貴族。かなりのお金持ちだ。孫娘の為に援助も可能だろうけど、それはせずにシングルマザーの恩恵を受けて大学に援助してもらうことにした。
いいなぁ。なんとなく腑に落ちない。
お金の事とは別に、娘の成績にも問題があった。
ドイツでいくらギムナジウムにいて成績がよくても、移住してきていきなりハイスクール1年目でHonor(優等生クラス)に入れられて、授業に付いていけるだけの英語力が当初はまだなかった。よって、1年目は棒に振ったようなもので、ギアを入れ替えたのは2年目から。
ガンガン飛ばしてクラスを挙げていったが、最終学年の4年目の始め、奨学金希望やUCASへの申し込みの際にはGPA(偏差値)がまだ4.0にかろうじて届いていなかった。これも痛かった。
結局娘の進路は、イギリスの大学が2次募集をする夏休みあたりまで宙ぶらりんになっていた。あと1年早くアメリカに来ていたら、すんなりと願書だけで合格できていたかもと悔やんだが、これは娘も私もお互いに口に出さなかった。
結局イギリスの5つの大学に願書を出し、内3つがConditional(卒業時点のGPA次第)ということが去年の3月に知らされた。その後、卒業時点のGPAは4.0を越えた。あとは8月中旬までじっと待つのみだった。
この期間が辛かった。いつ通知が来てもいいように遠出が出来なかったし、イギリスに行くなら夫が付き添いだと決めていたので、彼も夏休みを取らずに準備していた。一番の犠牲者は次男だったかな。
そして、《イギリスの大学がどこもダメだったらアメリカの大学に行く事》と約束させていたので、一応バックアッププランはあったが、その大学は8月22日から始まり、8月15日までに入学の返事をしなければいけなかった。なのに、イギリスの大学からの連絡はまだない。娘はUCASに連絡をとったが、審査段階でまだ結果が出ていないとの返事。
これはもうダメだったんだと諦めることにした。
娘は部屋でしくしくと泣いていた。私はどうしていいかわからなかった。
とにかく、約束は約束と、アメリカの大学に入学手続きをすることにした。ギリギリの8月15日だった。そして学園のガイダンスは8月18日。しかしこの日、彼女が父親と一緒にガイダンスに出席中、イギリスから彼女のケイタイにメールが入った。
Congratulations!我が校に合格しました!
と、受かるはずがないと思っていた、難しいほうの大学からの合格通知が入ったのだ。
行きたくない大学のガイダンスを嫌々受けていた最中に、イギリスのあこがれの大学からの合格通知。
なんという皮肉。隣りに座っていた夫は、娘にしばらく何もいえなかったそうだ。
しかし娘はあっさりと、そのまま大学のガイダンスを2日間こなし、アパートも見つけて淡々として家に帰ってきた。しばらく経ってから彼女から『私はこのメールをもらったときに、初めてイギリスの事は忘れようと踏ん切りがついた。今からアメリカの大学に全力投球するって誓ったんだ』と聞かされた。
子供はこうやって強くなっていくんだと思った。
私と夫はこういう時、アメリカ人の親がよくやるように抱きしめて背中をさすったり、いろいろと慰めの言葉を掛けたりってことができない。私は彼女の好物を作ってあげたり、実家に帰ってくるときはベッドを整えたりすることしか思いつかない。父親も同じ。彼女の車を直し、車内に掃除機をかけ、ガソリンも満タンにしておいてあげるとか、こういう表現しかできない。
娘ちゃん、ママとパパは不器用だけど、とにかく応援しているからね!