購入したDVDには、淀川先生の紹介がついていました。これが、実に適切な 量と内容のものでありましたので、気持ちよく本編を視聴することができました。
サルバトーレ・ダリの創作意識のなかには、つねに死への傾斜と、信仰への傾斜とがあったものと思われます。自在に敵に立ち向かう場合でも、死と信仰とを引きずっていくのです。
このことは、必ずしも、シュール・レアリスムとは関係がないかも知れません。画家としての創作者としての内省に伴う、確認の結果でてきたものでしょう。
ここから、普遍の意識に移行するのには、この個性の部分を消せばよいのです。消しにくい、しかし、消してみると、あっというまに普遍へと飛びます。ダリは、奥さんのガラを通して、自身の個性の部分を表現していました。そして、その地点にとどまろうとして、普遍への跳躍を自ら拒否しました。
ふっと、ゴヤのことを思い出しました。ゴヤは幻想を尊重しました。ただし、幻想から離れた、ごく普通のデッサンも十分に可能な画家でした。このことが大事であると思います。
観想世界とは、まったく関係のないお話ですけれども、楽しいです。としのせいか、同じものを過去に経験したときにはどうであったか、ということを、ふと思い出すことがあります。
原作となった小説の読書体験とは、少々異なります。とくに、この作品の場合、子ども向けに書き換えられたものから、そうではないものまで、変化がありますので、わたしの記憶のなかにも多彩なものがあります。
つぎには、『アンダルシアの犬』を観ようと思っています。ブニュエル=ダリの協力による映像です。ああ、眠い。沈降した意識が、また浮かび上がって、さらに沈みます。もう夏です。夏に冬眠のようなことをしていると、なんだか時が過ぎていくのが、「充実している」ような気もします。