夏目漱石さんの好きなところの一つとして
誰かに伝えたくても、うまく言語化できない
自身の中にもある感情の描写を
簡潔かつ明確に美しく、または滑稽に文章にしている場面がたくさんあるんですよね。
明治時代なのに、夏目さんの心と自分が繋がって
鳥肌が立つ時があります。
例えば、中学生、高校生、となると
今まで遊んで楽しく生活していたけど、受験や、就職など将来への不安が押し寄せてきて、周りの友達もモードが変わっていき、胃がキュッとなる感じ、って想い出すと誰でもあると思うんですが。
三四郎の一節を引用すると
「未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫」と書かれており、まさに!!と感動したわけです。
三四郎が福岡の田舎から上京し、帝国大学に入学して、すぐ講義に出るんですが、
明治後期は就職難だったらしく卒業生達の進路の話を小耳に挟み、不安になった時、三四郎は「未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫」
を感じるわけです。
見事!ですね。参考書はよく読みますが、物語を追うタイプの読書は普段ほぼしない私でも
共感できる素晴らしい表現だなと思いました。
夏目さんは俳人、正岡子規と学生時代からの大親友で共に切磋琢磨しながら、句を読み合った仲だと聞くのできっとその時の俳句のスキルが小説に活かされているんだなぁ、と。
卒業後、教師の道へ進んだ夏目さん、そして俳人の道へ進み有名になった正岡子規でしたが、
若くして結核で亡くなってしまいます。
その時、日本国の命を受けイギリスで英文学を研究していた夏目さんは、彼の死を子規の弟子の高浜虚子からの手紙で知るわけですが、相当ショックを受けて、ノイローゼと胃の病気を患っていた夏目さんは療養の為日本へ帰国。
ラスカディオハーン(小泉八雲)の後任として帝国大学の英語教師になりました。
その後、子規の弟子高浜虚子の
雑誌ホトトギスで小説を書いてみませんか?という
勧めで処女作「吾輩は猫である」が生まれた、というドラマがあるんですよね。
ですが、病魔と戦いながら小説家として活動したのは晩年11年間だけなんです。
と、長くなりましたがw
他にも漱石さんの表現には言葉にうまくできない心の動きの描写がたくさんあって見つけたらまた、ブログにメモって行こうかななんて思います。
夏目漱石さんの好きなところの一つとして
誰かに伝えたくても、うまく言語化出来ない
自身の中にもある感情の描写を
簡潔かつ明確に美しく、または滑稽に文章にしている場面が沢山あるんですよね。
明治時代なのに、夏目さんの心と自分が繋がって
鳥肌が立つ時があります。
例えば、中学生、高校生、となると
今まで遊んで楽しく生活していたけど、受験や、就職など将来への不安が押し寄せてきて、周りの友達もモードが変わっていき、胃がキュッとなる感じ、、って想い出すと誰でもあると思うんですが。
三四郎の一節を引用すると
「未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫」と書かれており、まさに!!と感動したわけです。
三四郎が福岡の田舎から上京し、帝国大学に入学して、すぐ講義に出るんですが、
明治後期は就職難だったらしく卒業生達の進路の話を小耳に挟み、不安になった時、三四郎は「未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫」
を感じるわけです。
見事!ですね。参考書はよく読みますが、物語を追うタイプの読書は普段ほぼしない私でも
共感出来る素晴らしい表現だなと思いました。
夏目さんは俳人、正岡子規と学生時代からの大親友で共に切磋琢磨しながら、句を読み合った仲だと聞くのできっとその時の俳句のスキルが小説に活かされているんだなぁ、と。
卒業後、教師の道へ進んだ夏目さん、そして俳人の道へ進み有名になった正岡子規でしたが、
若くして結核で亡くなってしまいます。
その時、日本国の命を受けイギリスで英文学を研究していた夏目さんは、彼の死を子規の弟子の高浜虚子からの手紙で知るわけですが、相当ショックを受けて、ノイローゼと胃の病気を患っていた夏目さんは療養の為日本へ帰国。
ラスカディオハーン(小泉八雲)の後任として帝国大学の英語教師になりました。
その後、子規の弟子高浜虚子の
雑誌ホトトギスで小説を書いてみませんか?という
勧めで処女作「吾輩は猫である」が生まれた、というドラマがあるんですよね。
ですが、病魔と戦いながら小説家として活動したのは晩年11年間だけなんです。
と、長くなりましたがw
他にも漱石さんの表現には言葉にうまく出来ない心の動きの描写が沢山あって見つけたらまた、ブログにメモって行こうかななんて思います。


