先日4月8日で岡田有希子さんが亡くなられて38回忌になるそうで、命日には亡くなった現場に
今でも沢山のファンが訪れるようです。
死の真相についてありもしない都市伝説がWeb上で拡散されてますがw
SNSなどみるとやっぱり気になるのはまだそこかい!ってのばかりですね。
彼女の目線になって私なりのリサーチに基づく考察を述べますと、、、(長いのであくまでも自己の備忘録です。読んでほしいわけではありませんw)
総体的に言えば、多くの人が 芸能人=神格化、聖人君子に変換する傾向にありますが
きっと我々が18歳の多感な時期の脳内となんら変わらなかったでしょう。(繊細で無鉄砲で危うい感じ)
芸に長けてたとしても、そこにいるのは、まだまだこれから社会を勉強していく1人の18歳の女の子なのです。仕事から帰ってきて独り部屋で溜め息をつく瞬間は誰しも変わらない。
1983年にサンミュージックに入所、
翌84年4月に竹内まりやさんの提供曲「ファーストデイト」でデビューした岡田さん。
デビューから2年目の85年はヘアスタイルをショートにしてイメチェン。
婚約、結婚騒動で、当初は主婦業に専念したい、と公言していた事務所の先輩松田聖子さんに代わって、事務所の次の稼ぎ頭として一年間休む間も無く仕事+学業の日々。
デビュー年から新人賞など沢山の栄冠を手にしましたが、優越をつける賞レースが苦手だった彼女の目標であった”紅白出場”は叶わず、、
丁度、当確が分かる時期と被る、11月中旬~下旬に体調を崩し入院します。
退院明けの12月からの彼女は
視線が定まらない影のある自信を喪失した様な雰囲気になってまして、
体調が不完全なのが映像を見ても明らかです。
倒れる数ヶ月前から「一日20時間働いてるみたい、、、いつまでこんな生活が続くんだろう、、」とも漏らしてます。
この時期くらいに担当している製薬会社のCMを後輩にバトンタッチする話をした際、凄い剣幕で怒りだしたりと、情緒不安定で
手が付けられなかった様です。(事務所関係者談)
翌年になってくちびるNETWORKのヒットでどことなく
落ち着いた大人の女性の印象になったのですが
3月21日発売のオリジナルアルバム『ヴィーナス誕生』
初週の売り上げ(オリコンだと、3/26及び4/2の数字)が前作の枚数をだいぶ下回ってしまい
亡くなる3日前には「私なんかダメだから、、、」と事務所社長さんにも漏らしていた様です。
当時のディレクターさんも「すごく数字をチェックして気にしている子だった」とおっしゃってます。
彼女は視力が0.04ととても悪かったのですが、
歌を聴いてると耳が良いのがとても分かる(他人の声を模倣する能力に長けているタイプの歌い手)ので、いろんな周りの言葉にも敏感で翻弄されるところがあったのではとも推測します。
前年、マナーの悪いファンと対峙したお母さんが体調を崩して入院したりで、「自分がデビューしたせいで家族が、、」とラジオでも言ってます。
色々仕事面でとても行き詰ってたのは関係者さんも理解しているのではないでしょうか。
亡くなった4月8日というのは
84年のデビュー前お披露目イベント『集まれYukkoフレンズ』の最終日、
”岡田有希子が誕生した日”として彼女が認識してた特別な記念日(コンサート音源のMCにて)でしたし
奇しくも『ヴィーナスの日(ミロのヴィーナスが発見された日に出来た記念日)』『釈迦の誕生日』で、博学だった彼女が知っていてもおかしくないと思ってます。
もちろん恋の悩みもそのひとつの要素ではあったかもしれませんが
色んな事が重なって考えて考えて決心に至ったのかな、と思ってます。
シブガキ隊の薬丸さんもお葬式で「芸能界辞めたがってたので相談にはのってた」とおっしゃってましたね。
お母さんが著者の『愛をください』での母目線の考察が一番説得力があると思ってまして
亡くなる2日前の地元での凱旋コンサート後、1時間程実家に寄るのですがその帰り際に
「お父さんかお母さんどちらか東京に来た方がいいみたい、、、」と言ってたのに
その意味に気づいてあげれば良かった、、とおっしゃってます。
前日〜事件までの足取り
4月7日 この日は名古屋公演後、でオフとなっておりますが、CCBの関口さんが亡くなる前日ラジオのゲストに来てくれていたとおっしゃってるので、
もしかすると名古屋から東京へ戻った未明〜昼帯に収録があったのかもしれませんね。
夕方から渋谷で映画の試写鑑賞後(20:30)、友人を待たせて公衆電話でどこかに長電話(10分くらい)してて
22時帰宅、、マネージャーと電話、、とあるのですが
21時過ぎにマンションでガス警報器が鳴って住民が表に出てきて騒ぎになったということなので(当時のニュース)
映画を見終り、電話後友人と別れてすぐに帰宅していたと思われます。(渋谷から自宅の南青山6丁目付近までタクシーで10分もかからない)
亡くなる当日の未明から、社長宅や峯岸さん(好意を寄せていた先輩俳優さん)のご自宅のある成城や東京駅付近→自宅とタクシーで転々としてて、社長さんや峯岸さんに何か伝えようとしても出来なくて、実家に帰ってしまおうか、、と悩んだであろう形跡があります。(言えなくて、出来なくて、ウロウロしてしまう感じがとても分かる)
この時期、「社会人としての責任感」という言葉をよく使っていた彼女、自身とはかけ離れて巨大化してしまった岡田有希子という偶像。
もう自身1人のわがままでは止められない現実がそこにはありました。
投身自殺の2時間前のAM10時頃
朝、昨晩と同じ様に彼女の住むマンションの住民がガスの異臭に気付き大家さんが中に入ったところ押入れの中で手首を切ってガス心中未遂で発見され病院へ搬送されたのですが
お母さんが「何かあると押入れに入って出てこない子だった」とおっしゃってるので
お母さんに対してのメッセージだったのかな、とも思いました
(中2の時にも同じ未遂をしたことがある)
傷は4針と比較的浅く(担当医コメントより)
その後、迎えに来た専務、女性マネと事故の現場ともなった旧サンミュージックへ移動
大騒ぎになってマスコミも事務所にかけつけて
刑事さんまで来てたといいますから、パニックになって、、、というのが
事務所の専務さんの見解です。
実は、リサーチしたところ
もっともっと細かい時系列があるのですが
ちゃんと調べると、彼女の気持ちがとても理解できましたね。
学校の成績も良く、デビューからクラスの優等生の優しい女の子というキャラクターに徹してましたが、本質は負けん気が強くて頑固、おっちょこちょいな面もあるどこにでもいる女の子という印象な人物像ですね。
もちろんビジュアルも良く芸事の才能や吸収力、求道心は高い人だと思ってます。
亡くなってから、40年経過しようとしているので、
今となっては私の中ではブルースリーやカートコバーン、ジムモリスン、マークボラン、ジョンレノン、尾崎豊など、歴史を彩った”偉人”の一人として心に存在する岡田さんではありますが、
その誰もに”死の真相”についての都市伝説もつきものなのも事実、、、スターたる証拠なのかもしれませんね。
そしてそんなこととは関係なくアーティストの作品は多くの人に愛されこれからも
沢山の人に語り継がれることでしょう★
ですが、日本のメディアって、いまだに湿っぽく扱う傾向にあるのが残念なところですね💦
制作者目線でいいますと、避けているというよりかは数字的に爆発的な大ヒット!があるわけでも無いので「80sヒット」的な番組をやるとしてラインナップに入れにくい(逆に不自然になる)ラインではありますね💦