聖子ちゃん研究所に続きw

というか聖子ちゃんより前に個人的にもう一年以上やっておりますが、

彼女の1984年4月~1986年4月の2年間の活動のコンテンツに色々触れていく中で

約40年前の彼女の" 人となり"などがだいぶ見えて来たので

思い当たるところたまに書いていきたいと思います。(ここだけの話実は大手媒体で芸能ライターもやってましたのでw)

 

彼女がデビューしてちょうど10ケ月目に発売された”瞳はひみつ色”(廃版)というエッセイの中から芸能界に入って

もっともショックだったこととして書かれている内容なんですが

「活字は恐い、、、私が話して無いことや事実ではないことがひとり歩きする…」

そういう内容です。

高校2年生の素直な感想だと思います。


私も芸能人の方にインタビューする機会は沢山ありましたが、
これを読んだ時レコーダーの内容を文字おこしする際に注意しなくてはならないなと思いました。
(私は本人の伝えたいことが簡潔に読者に伝わる様に心がけてましたが)
それで彼女に関しては38年の時を経て明らかになった事実があって
亡くなるちょっと前の話なんですが
彼女はとても文才があり歌を志す前は小説家にもなりたかった夢がございまして
事務所として小説家デビューさせよう!というプロジェクトが動いたんですね。
本人も夢が実現するということでとてもやる気だったんですけど
現実的に多忙なこともあり、良かれと思って事務所が考えたのが
本人が書きたいものをゴーストライターに伝えて書いてもらう、というものでした。(公にはなっていない)
芸能の仕事をやっているとこれまた良くあるお話です💦

それでそのゴーストライターさん本人のごくごく最近の告白ですが
喫茶店に打合せに行くと
マネさんと岡田さんがいて、目も合わせてくれないし、30分くらいうつむいてずっと考え込んでいて一言も喋ってくれない、、、
結局その場は解散となった、、、
その様子を「躁鬱」と表現されてましたがこれは自殺という形で亡くなった先入観からの後日談的な考察なのではと。

上記のエッセイの内容をみると
彼女の気持ちをとても察することが出来ますし、何か相手に伝えようと努力したけど
真面目な性格と初対面の人に対してどう伝えて良いのか言葉が浮かばなかったんだとも思えます。まだ高校生の女の子ですし💦(後日、日を改めて打合せした際笑顔で接してくれたそうですが)
そのゴーストライターさんが書いた小説は亡くなった後に発刊された「さよなら有希子…」
という本に掲載されております。(30年以上前に廃刊になっていますが夢を持ってるファンの方はすいません💦)恐らく彼女の文癖を知ってる人にはバレてるかもw


また、彼女のお母さんも「彼女が宿題間に合わなくて困っていたので寝てる間に手伝ってあげたけど
私が書いた部分は全部あとで自分でやり直していた」と手記を残してらっしゃるので

そういう性格からも、上記の様な出来事は相当嫌だったんだと思います。

断片的に見るとわかりませんが
色々情報を照合すると各登場人物の立場や目線も踏まえてそれぞれ心理的に見えてくるものがありますね☆


彼女の出版物はほぼ廃版となってまして
爆烈にプレミアがついてましたが研究の為に全部買ってみましたw

読んでみて心理的な部分で気付いたことも沢山あるのでまた何かありましたら書いてみたいなと思います。