昨日、自己紹介をしないと 何を訴えたいのかがw赤らないというアドバイスをいただいたので、自己紹介をします。
実は 私は自己紹介することを避けてきました。なぜなら 信じられないような人たち、信じられないような幸運に恵まれているからです。
ほかの人たちに言ったらただの自慢話にしかおもわれないとおもいますが、これは 私の人生に実際に起こったことですので ご了承ください。
私は 昭和28年生まれで 今年72歳になりました。
名城大学法学部を卒業し、商社に就職しましたが、半年で退職し、美容師の道に進みました。
美容室に入店し 通信教育課程を受講してからすぐに 自分には合わないと思い、また転職考えましたが、入学金と授業料を払っていたために 3年後美容師面鏡を取ってから辞めることにしました。
辞める以上、カットぐらいできるようにしておこうと思いました。そのために3年間にしなければいけない練習過程を計算しました。
当時働いていた職場は 9時から夜9時までの営業時間、おまけに通勤に1時間20分かかるのです。練習時間を確保することが非常に難しい状態でした。
しかし、3年後「辞める」という目標を達成するために 先輩たちに頼み込んで練習に付き合っていただきました。ブラッシング、シャンプー、ワインディング、カラー塗布、ブロー、カット(イーブンカット、レイヤーカット、グラデーションカット、)などをすべてクリアするためには すべての試験に合格しなければならない環境でした。
入店して11か月後、カットコンテストが開かれるということを聞き、無謀にも挑戦しました。
この時、予選をトップ通過してしまいました。(そんな馬鹿な!)しかし入賞はできませんでした。
この頃 大学時代からかわいがっていただいている霊感師さんが 3つの予言をしてくれました。
1、あなたは これから先、名古屋に向かってゆくと運が開けます。
2、「松平健」って誰ですか?この人と仲良くしておくといいですよ!」
3、写真を撮りなさい。
という3つでしたが1は すでに辞めるという覚悟ができていたために 外れていると思い、二つ目は 「松平健」なんて言う芸能人みたいにかっこいい名前の人はしりません。」そして3つ目は 嫌いなカメラを扱わなければならないことに抵抗を感じていました。
この予言は 1年から1年半という期間の間にその通りになってゆきました。1はインターンになる10月に 新しい笠寺店の店長になってしまいました。見習いが、見習い3人を使って新しい店を営業することになりました。(昔はそれでも営業できたのです。)
そして「松平健」は幼馴染の鈴木末七君の芸名でした。彼とは 幼稚園の頃から親しくており、彼のお姉さんと私の姉とも仲良くしていたために 「太陽のほえろ」に出ることも知っていましたが、「芸名」だけ知らなかったのです。
冗談の真ん中が松平健、下段の左から二人目が私、その右横が双子の兄貴です。これは 週刊女性に載っていた記事の中の写真です。
3つ目は 美容師になったのに カメラマンに転職しなければいけないのかと問いかけたところ、「いや、違います、ヘアスタイルの写真を撮りなさい。」という返事でした。
はじめて髪型の写真を撮った時、思い通りになっていないことに気づき、仕上がり写真を撮って見直すことにしたのです。
この霊感師さんは 平田照美さんと言い、その20年後 女性自身と女性セブンに奇跡の霊能者として特集が組まれるほど有名になりました。
恵まれてはいましたが 想像以上の死後のきつさに値を上げえていました。
できない人間ができない見習いを使っているのですから 自分しか頼りにできませんでした。少ない時には一日5~6人、忙しい時には20人程度をこなしていました。
そして 翌年の夏に行われるスクーリング(通信の夏期講習)のころには 最大1日、31人をこなしていました。スクーリングの時、友人が『俺の先生はこの前に日曜日、32人もこなしたんだぜ!」と言ったので、思わず、自分の「この前の日曜日、31人こなしたよ。」といった時、周囲の反応は ほら吹きを見るような目で見返してきました。
これは 言ってはいけないことを言ったことに気づき、自己紹介を避けるようになりました。
そして 美容師試験に合格し、辞めるという目標果たせる環境になりましたが、辞めることができなくなりました。
そのために すべてに美容技術を習得しようと考え、営業を行いながら、モデルクラブに所属して「ヘアメイクの技術」を習得しました。
また ケネスフォークスという美容集団に所属していたので いろいろなヘアショーに参加させていただきました。また美容雑誌の撮影を体験することも多々ありました。
その頃平田照美さんは 「あなたは 美容業界の指導者になります。」と予言したのです。
そんな馬鹿なはずはありません。私は 入店して1年経過したころから 基本通りの方法はできなくなっていたからです。基本通りでは 思い通りの仕上がりにならなかったので すべて自分自身のやり方しかできなくなっていたのです。
だから 指導者になんかなれるはずがないのです。
その後、私は 結婚し、普通の美容師を目指しました。
ところが 次の霊感師さんが表れたのです。彼女は 成人式のためのアップヘアをやってくれという申し出がありました。その10年後、料亭をやるから 「日髪を結ってほしい。」と言う申し出があり、再度来店するようになりました。そして 交通事故になってから霊感能力がついてきたという話になり、アドバイスをくれるようになりました。
この人の料亭は 島田陽子さんやあべ静江さん、池上季実子さんなどの芸能人が訪れるようなところでした。彼女もかなりの美人でした。この人が 7~8年かけて 「指導者になる運命である。」と説得してくださいました。
その結果 25年ほど前に行動を起こし、清水悌先生のご指導により、「顔学会」に参加し、研究発表をするようになりました。
その後、10年ごとに別の霊感師さんが表れ、辞めようとする私のしりをたたき、指導してくださるのです。

























