二人目の霊感師さんが出現したのは 結婚してからでした。

 彼女が成人式に出るということで アップスタイルを結いに来た時がはじめです。彼女は かなり美人で、おしゃれにこだわりがありました。 だから 要望もむつかしいテクニックが必要なスタイルでした。その時は 2~3回来店し、途絶ええていましたが、10年ぐらいたった時、料亭を開くので ひがみ(週に二回ほど来たい)を結ってほということで 来店するようになりました。

 来店するようになり、話が進むうちに 交通事故がきっかけになり、霊感が出るようになったのだという話をし始めました。私は 以前の平田照美さんのように 将来のことをことごとく言い当てられ、個人名まで当てられたという体験があったため、聞き流すことにしていました。 

 ところが 当時の私は 子供に対する妻の虐待に頭を痛めていました。

 妻は 外面は か弱いけなげな母親であり、妻であるように見せているのですが、実態は 家事、育児は全くせず、雇っている「おばさん」に任せ、叱る、おこるという役目を一生懸命行っていたのです。

 私から見たら、明らかな虐待です。しかし、本人は 虐待だとは思っていないのです。なぜなら 母親自体が 家事育児を一切せず、しつけという名のもとに 大声で叱り、子供を虐待していたのです。

 私の育った環境とは大違いでした。私の母親は 良妻賢母を絵にかいたような人でした。とにかく働き者で 家事育児は当然行い、パートに出て家計を助け、帰ってきて夕食の支度をした後、父親の実家に出向き、両親の面倒を見ているような人でした。そんな忙しい中 4人の子供を立派に育て上げたのです。

 そんな姿が頭尾の中に焼き付いていた私には あまりの環境の違いに、目の前で起きている虐待を止めようと必死でした。そんな悩みを相談し、助けていただいていたのです。

 そして 次第に彼女も私に「指導者にならなければならない。」というようになりました。せっかく、平田先生の予言から逃げたのに、また繰り返される予言に驚きながらも 逃げることにしました。

 私も勝手がいいものです。虐待について救いを求めておきながら、「指導者にならなければならない。」という予言からは 逃げているのですからね。

 当時私の周りには プロとまではいかないけれど 霊感の強い人たちが多数いたように思います。

 

 熱心にアドバイスをいただいたおかげで 仕方なく活動することにしました。何をやってよいのかわからず、まず、本にしてしまえば あとは読んでもらえればよいと考え、〇ん美容出版に内容を書いた目次を送ったところ、六本木にある出版社まで来るようにといわれ 説明に伺いました。

 その説明途中に 女性の編集長が 「なぜ、お黄金比率が必要なのですか?」という質問をされました。

 この時、私がなぜ指導者にならなければいけないのかがうっすらわかりました。

 といいますのは 美容デザインは人体の黄金比率をベースにしてデザインを行うのが普通なのです。基本の黄金比率を知らなければ  「綺麗」ということがどういうものなのかを学ぶことができないのです。

 

 この時初めて 美容業界の人たちに基準となる黄金比率がないことを知ったのです。デザインするときには 基本となる黄金比率と比較して どこをどのように修正すれば 黄金比率になるのかを言う謎を解くことができるのです。このことを知らせるために指導者にならなければならないことに気づいたのです。

 

 実は 私は 美容業界に入ってから 1年間は 基本に忠実に施術していましたが、自分自身でその方法では結果が出せないことに気づき、その後、自分なりの方法でしか施術していなかったのです。

 だから 美容業界の内情が全く分かっていなかったのです。

 そして 〇ん美容出版社の紹介により清水悌先生を紹介していただき、顔学会での発表を勧められたのです。

 

 この時をきっかけにして 現在の美容業界の内情を知ることができるようになったのです。

 そして 発表するごとに 美容業界の常識とは全く違うために 多くの反発を受けてきたのです。

 

 このことを境にして なぜ?変化が見えないのかという疑問が壁になったんです。

 つまり、ゲシュタルト心理学の必要性を感じたのです。脳の中で何が起きているのかという疑問と 対峙することになったのです。

 「ゲシュタルト崩壊」という脳の働きが 変化を見えなくすると同時に 『もとが綺麗だったのだ。』という結論によって 美容技術の可能性が奪われてきたのです。

 欠点を消すことによって その人の黄金比率が完成されるのです。この仕組みを理解できるようになれば 美容技術が格段にうまくなるのです。これは 仕上がりをデジタルカメラで確認しなければわからないのです。

 その理由は 29秒経過してしまうと変化していることがわからなくなるからです。