私が 美容師を目指した理由は 仕上がりが決まっているという前提があったことでした。仕上がりが決まっているならば、その通りに仕上げれば済むことだと考えていたのです。

 書道家を目指したり、画家を目指すより、仕上がりが決まっている美容師のほうが 結果を出しやすいと考えていたのです。

 書道家や、画家の場合は 一応テーマが決まっていますが、表現力などが評価の対象になるので、好き嫌いが出てくるので 結果が決まっているほうが簡単だと感じていたのです。

 

 それに 似顔絵を描いていたので それぞれの人に対する応用性があり、簡単に仕上がりイメージが思い浮かんでいたのです。

 だから 基本技術を教えていただいたにもかかわらず、思い通りの仕上がりにならなかったので 決まった仕上がりイメージをスタイルブックから探していただき、その仕上がりになるように逆算して施術していました。

 逆算するときには 顔の大きさによって サイズを変えて施術していました。

 3年したらやめると決めていたので 文句を言われたら、「ごめんなさい。」と謝り、自分自身の方法をやり通していました。だから 基本通りに施術したのは 1年ぐらい、そのあとは 全てサイズを合わせて作りました。

 

 ところが そんな反抗的な私があと1年、インターンを終了して免許を経ったらやめていた時、名古屋の笠寺に新店舗をオープンするという話が持ち上がりました。その話に興味はありませんでしたが、マネージャーが 新しい店に行ってみないかといわれたので、「店長は誰ですか?」と聞いたところ 原田勝己オーナーが行くということだったので、一緒ぬ働いて 仕事を見てみようと思い、承諾してしまいました。

 この時にも思いもよらぬ幸運が訪れたのです。

 まだ 免許も持たない私に 「店長をしないか?」という話に変わったのです。

 私は この話を聞いた時、原田克己先生とマネージャーを軽蔑しました。

 この人たちは 何を考えているのだろう?免許も持たない新人に「店長」などという役職を割り振るなんて 狂気の沙汰ではないかと思いました。

 私には 苦労することが目に見えていましたから、絶対に断ろうと決めていました。ところが そんな私の気持ちを無視して 無理やり進めてきました。(当時は 免許を持った人が一人いて 免許を掲げておけばよいということでした。)

 どっちみち、あと1年という目標が 私に承諾させました。そして 思った通り苦難の毎日が始まりました。25歳のスタートでしたが 想像以上の苦難の毎日でした。

 2年たった見習いが 見習いを3人使って店を回さなければならないのです。自分自身が仕事をするだけで精いっぱいなのです。そんな状況でありながら お客様を回し仕事を与えてゆかなければならないのです。失敗しても偉そうにするわけにはいかないのです。自分自身が 未熟なのですから 偉そうに起こるわけにはいかないのです。

 毎日 どうやって指導しようかと考え眠れぬ毎日でした。酒を飲み始めたのは このころです。考え始めたら眠れないのです。とにかく寝なければ 明日の仕事に差し支えると考えて 好きでもない酒に手を出すようになりました。

 

 後で気づいたのですが、これは 「名古屋に向かってゆくと出世します。」という平田先生の予言ではないかと気づくのです。

 

 この時、出世したり、成功するということは 肉体的にハードだということに気づきました。成功や出世するというのは 甘くないことだと気づいたのです。

 行き過ぎた「コンプライアンス」や「ハラスメント」にすがってしまう人は 指導者になった時には 思わぬ苦難に気づくことになります。そして 結局、思い通りの指導ができなくなり、怒ったり、いじわるしたりするようになるのです。

 

 私は こうした体験をさせていただいたおかげで 人間の腹の底が見えるようになりました。そして 結局育ちの良い人と、悪い人がいることに気づいたのです。親の育て方によって 子供の幸せが決まるのだと思いました。

 私の場合は 家庭は貧乏でしたが まじめで馬鹿正直な父親と母親に育てられたので 苦労にしか思いえないような大きな幸運に巡り合えたのだと感謝しています。