「辞める」という決断は 消極的で情けない自分を大きく変えました。
周囲の考え方と自分には大きな違いがあるのだと考えるようになり、自分自身の考え方を持つようになれたのです。嫌われないように、失敗しないようにし続けてきた自分が 嫌われることをいとわず、失敗することに喜びを見出せるようになったのです。
つまり、親たちが教えてくれたまともな生き方から まともではない自分の生き方を受け入れるようになったのです。つまり「辞める」という決断が 「執着心」を取り除いてくれたのです。
この変貌は 自分自身でも驚きましたが、見えてくる世界が大きく変わったことに気づきました。
他人の考え方の違いを素直に聞けるようになり、自分の犯した失敗を 素直に受け入れるようになりました。
こうなると 他者の考え方を受け入れることができるようになり、失敗から多くを学ぶことができるようになったのです。
これ、人間にとって一番大切な 「コミュニケーション」の方法を手に入れることができるようになったのです。叱られたら「ごめんなさい。どのようにすればよいのでしょうか?」といって素直に聞くことができるようになったし、「間違える」「失敗する」ということから多くのことを学ぶことができると知ったのです。「間違える」「失敗する」ということは 間違えることによって 正解の意味を深く知ることができるようになり、「失敗する」たびに 失敗の原因を知ることができるのです。
データ美容は 「間違い」がはっきりと見えるようになります。そして 「失敗する」ごとに知識が深まります。だから 「ハラスメント」という認識がなくなるのです。怒られることを「愛」だと感じるようになり、「失敗する」ごとに「学び」が増えると感じるようになるのです。
「辞める」と決断することによって 執着がなくなり、自分自身の考え方にこだわりがなくなったのです。
だから 現代の行き過ぎた「コンプライアンス」によって 若者たちのコミュニケーション能力が奪われていると感じるのです。自分自身の考え方にこだわり、他者と衝突を繰り返してしまうのです。なぜ理解してくれないのだろうか?と考えることによって 理解してくれない人を「加害者」と感じ、自分自身を「被害者」に仕立ててしまうのです。
他者と考え方が違うのは当たり前のことなのです。「十人十色」といって誰も同じ考え方の人はいないのです。社会人になって誰も同じ考え方の人がいないことに気づくことが 「コミュニケーション」の第一歩なのです。
理解できない自分が「未熟者」でしかないのです。その「未熟者」が 一人前の人間になるためには 「間違い」を受け入れて そこから「知識」を身に着けることによって 一人前に成長できるのです。
行き過ぎた「コンプライアンス」によって 「コミュニケーション」能力を奪われているように思います。「十人十色」といって 考え方の違いを知ることによって 学ぶことが山ほどあることに気づきます。こうしたことに気づけるようになると「いっていいこと」と「悪いこと」がわかるようになるのではないかと思います。
私が「間違え」や「失敗」が好きなのは こうした理由があるのです。