昭和のころの「思いやり」という言葉の意味と 令和の時代の「思いやり」という言葉は 全く意味が違っているように思う。
戦争による貧困、飢餓を体験した人たちの「思いやり」は 貧困や飢餓を体験した人たちによる想像力によって愛にあふれたものであった。
しかし、 昭和に施行された「思いやり教育」によって育てられた親たちは わが子が傷つけられるtことに恐怖感を持っている。
「いじめ」という言葉によって 子供たちが傷つけられることによって 精神的なダメージを売らうことを心配しているのでしょう。
自分たちも親たちに守られて生きてきたという体験によって それがベストだと信じているのです。
しかし、「思いやり」という行為は 「投影的同一視」と呼ばれ、実は 思いやる側の勝手な思い込みにすぎないのです。簡単に言うと、相手が考えていることは すべて自分が理解していると思い込んでいるのです。
そのために 自分の体験から 傷つくことを避けるようにしてしまうのです。
しかし、子供たちは体験したことが無いから 傷つくことを体験できないし、その時に体験する「痛み」も知らないのです。「痛み」を知らない人たちの「思いやり」はどのように姿を変えるのでしょうか?
実は 「支配」につながってゆくのです。なぜ、私の気持ちを汲み取ってくれないのだろうか?と考え始めるのです。こんな簡単なことが解らないのだろうか?という疑問を持ち始めます。
ところが 敗北体験のない子供たちには 他人の「痛み」を汲み取ることができなくなっているのです。親たちの「思いやり」は 自分自身の体験を通して子供たちの世界を支配するようになるのです。
つまり、親の思い通りにすることが 子供たちの幸せにつながると考え、無意識のうちに支配するようになるのです。
一人っ子や、長男、長女の運命を背負った人たちは 密接な親子関係を結びます。そのために 無意識のうちに親の言いつけに従い、数々の責任を受け入れざるを得ない状態になります。
そのために 失敗体験をすることができなくなってしまうのです。成長するために必要な敗北体験を失い、成長の道が閉ざされてしまうのです。
データ美容は 敗北体験ができるシステムです。データ化されているので どこが悪かったのかがはっきりとわかり、どこをどのように改善するべきかを学ぶことができます。
写真を撮ることによって 脳で起きている錯誤を確認できるようになり、敗北体験を通して大胡のことを学ぶことができます。ゲシュタルト心理学を通して、無意識に認識される「感性」という行為が 理解できるようになり、脳が活性化するようになります。
やればやるほど知的財産【経験】が増えてゆくのです。