今回妊娠した時
実家の母は「お祖母ちゃんの生まれ変わりかしら~ん」と楽しみにしていたようだけれども、私としては違う親戚の大叔母だったのではないかと思っている。(母には言えないけれども)
というのも、着床したと思われる日が大叔母の誕生日付近で、自然排出した日が大叔母の命日だった。
丁度1年前に亡くなったのだ。
世俗から離れて永遠の少女のような大叔母は、人と関わるのがとても苦手な人だった。
そんな大叔母と奇妙な縁で私が6年間一緒に住んでいたことがある。
幼少期からとても優秀な人だったと聞く。
外見も大和撫子ふうで、白黒の写真からも美しさが伝わってきた。
縁談も沢山あったようだ。
だけど、破滅的に人間関係が苦手だった。
人間が嫌いなわけではなく、仲良くしたいという強い思いがあるけれども、ちょっと空気が読めずに場を凍り付かせるような発言が多々。
今だったら、しっかりと診断がついて、何らかの生きやすくするための対応があったはずだけれども当時はそんなものはなく、大叔母なりに苦労はしていたと思う。
そんな大叔母は親戚からも敬遠されていて、本当に孤独な人だな、、と幼心に私人思ったことがある。
その大叔母と一緒に住んでいて、最初こそはお互いの距離感がわからずに嫌な思いをすることもあったけれども、不思議なもんでお互いに冗談を飛ばし合ったり、なんやかんや楽しい日々を送っていた。
今思えば、私もひどいことも言ったし、もっと優しくしてあげればよかった、旅行に連れていくね詐欺を何回もやってしまった。今は後悔ばかり。
私が仕事の都合で引っ越す日、涙をぬぐって門出を祝ってくれた。
大叔母の料理が好きだった。
大叔母の声が好きだった。
何もお礼ができないまま、大叔母は1月の寒い日に一人でひっそりと亡くなっていた。
生前
「次に生まれ変わる時には、あずちゃんの子どもに生まれたいわ」
って言っていて
「はぁぁ??おばちゃん育てにくそうだなぁ~」という会話をしたのを 思い出す。
ずっと社会に出ずに、幸か不幸か世の中のことをほとんど知らずに亡くなった。
その大叔母が私のお腹に宿ったのなら、今度は世の中を沢山見せてあげたい。
温かい眼差しを持つ人もいるということも知ってほしいな、と。
そんなこんなで、その大叔母の命日にお墓参りをしてきた。
私を可愛がってくれた、祖父母、大叔母への報告。
そこのお寺に水子観音様がいるということをその時初めて知った。
水子観音様の優しく、柔和な顔を見ていて涙が溢れて止まらなかった。
観音様、祖父母、大叔母に
私の第一子をよろしくお願いします。と手を合わせることができて、なんだかとっても安心した。
あちらの世界に旅立ってしまった子。
まずは、そちらで可愛がってもらって、いつでも還ってきてねと。
実際に子どもを抱っこしていないし、人間の形さえ曖昧な感じだったけれども、私は一瞬でも肉体的にも精神的にも「母」になっていたのは間違いなかったんだなとも実感した。
お墓参り、法事、お葬式、仏壇に手を合わせることなど
「死」にまつわる儀式は、死者の魂を弔うこと以上に、これからを生きていく生者のための儀式であると聞いた。
こうやって、一つひとつに節目をつけて、振り返りつつも足を止めずに前へ前へと歩んでいくための儀式。
初期流産の週数で水子供養が必要か否か議論があるようだけれども、自分がどうしたいかでの判断で全然問題なさそうですね。
私は行って本当に良かった。
少しずつ、少しずつ・・・です。
お墓参りに行ったついでに寄った横浜中華街。
こんな閑散とした中華街・・・いつまで続くんだろう。
