「醜聞」
公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件、有島事件、
武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の満
足を見出したであろう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に
世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう?
グルモンはこれに答えている。――
「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるか
ら。」
グルモンの答は中あたっている。が、必ずしもそれば
かりではない。醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる
名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見
出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を
樹立する、好個の台石を見出すのである。
「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史
よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではな
い。しかし有島氏よりも世間を知っている。」
「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう
云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。
(芥川龍之介・侏儒の言葉より)
公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡した
であろう・・・・・か。。。
なるほど。
以上☆