こんばんは。

大好きな安城市の在宅医療に貢献したい!

日だまり訪問看護ステーション

看護師 山田万理です。

 

日本人の2人に1人は

がんになると言われていて

原因は喫煙(受動喫煙も含む)、飲酒

ピロリ菌、C型B型肝炎ウイルスなどの感染

食生活、労働環境やストレス、遺伝など

様々だけどがんになる年齢が

若年化している。

 

看護師になって26年目。

新人の頃は

祖父母世代を看取ることが多かったのに

10年目あたりから親世代が加わり

今に至っては同年代を看取ることもある。

どんなに悔いなく生きたとしても

若いほど未練が残る。

未成年の子を持つ親であれば

なおさらだろう。

 

 

「妻と付き合っていた頃に

いつも待ち合わせていた場所が

葬儀場になっていたので

家族で送り出しました」

 

51歳の奥様を娘さん2人と一緒に

ご自宅で看取ったご主人が

日だまり訪問看護ステーションに

来所して心の内を話されました。

 

付き合っていた4年間は

ケンカしたことなかったのに

結婚してから小さなことで言い争って

子どもが成長してからは

同じ家で別々の場所で過ごしていたこと

 

3月に膵臓がんが発覚してから

奥様のわがままはすべて聞きいれようと

心を入れ替えたこと。

 

同じ時間を過ごして

写真をたくさん撮ったこと

 

12月11日に最期の日を迎えるまで

あまりにも短くて

してあげたいことができずに

奥様の心を取り戻せなかったこと。

 

奥様が「今日、仕事休めない?」と

言った日は仕事が忙しくて

イラっとしながら

「休めない」と言ってしまって

それが最後の会話になってしまったこと

 

子育ては奥様に任せきりだったから

娘さん2人との関わりに戸惑っていること

 

いろんな思いを話され

言葉や表情から後悔や漠然とした不安を

感じていることが見て取れました。

 

同世代だからこそ共感できる思いがある。

 

「家に帰りたいという願いが叶って

すべて帳消しになったと思います。

ご自宅に訪問した時

奥様は朦朧としてましたけど

帰って来れた、嬉しいって言いました。

それにベッドの位置は

私が病院に出向いた時に

奥様から聞いたお気に入りの場所と

仰っていたところでした」

 

看取りには『勇気』と『覚悟』と

『行動力』が必要です。

衰えていく体の変化や

苦痛に耐える姿を見届けるのは

勇気がいるし

大切な人を喪う覚悟をして

自分にできる限りのことをする

行動力がなければ

自宅看取りはできません。

 

奥様の最後の願いを叶えたご主人は

そのすべてを備えていたということです。

  

 

退院調整看護師から

新規相談を受けたのが11月17日

「退院前カンファレンスをする

日程調整の時間さえ惜しい状況で

なるべく早く家に帰してあげたいので

患者さんの様子を見に来て

受け入れ可能か検討していただけませんか。

訪問診療を承諾された医師は

退院前カンファレンスがなくても

受け入れて下さるそうです」と言いました。

 

退院前カンファレンスというのは

在宅療養を支える関連職種が集まって

病状把握と治療方針を決めて

ご本人とご家族の要望から

実現可能な目標設定と

関連職種の役割分担をすることです。

退院後の生活をイメージして

介護不安の解消やこれからを

よりよく生きるための話し合いです。

 

終末期は病状が刻一刻と変化するので

残された時間が数日から週単位の場合は

退院前カンファレンスを開催することよりも

自宅に帰るまでの体力があるうちに

退院するタイミングを逃さないことの方が

重要です。

帰途で急変したら

自宅に着いても家に帰ってきた実感はないし

負担をかけてしまったことを

ご家族が後悔することになるからです。

 
 

私が面会した11月18日の時点で

意識が朦朧としていて寝たきり状態

食事は1日を通してうどん5本、果物数口

腹水が溜まっていて

どう長く見積もっても

残された命の時間は1か月ほどでした。

 

看護学生さんが

「お粥より麺類が好きで

果物が食べたいと言ってました。

娘さんのことを気にされています。

家に帰りたいそうです」

と教えてくれました。

 

意識朦朧とした口数の少ない患者さんから

情報を得た看護学生さんに感謝。

何ごとにも本人の意思が一番大事だから

好きな食べ物、気がかりなこと

願いを聞き出した看護学生さんの

コミュニケーションスキルが素晴らしい!

 

私からは

「家のどこがお気に入りの場所ですか」

と質問しました。

自分で寝返りさえできない状況なので

やりたいことを実現する体力はない。

だったらせめて過ごしたい場所に

ベッドを置いて家族と穏やかな時間を

過ごして欲しいと思いました。

数分経って

「テレビの前のソファー」と

答えが返ってきました。

 

急変リスクが高かったので

なるべく早く家に連れて行きたいと思い

ご主人が休日の11月20日に

退院が決まりました。

 

気がかりだったのは次女さん。

退院コーディネーターからの

「ご主人が、高校1年生の次女さんが

学校に通えず家にいるから

妻が1人になることはない

だから退院できるいうと言うんです」

という情報でした。

 

私が中学3年生の時に大好きな祖父が

病院で、がんで他界しました。

夏休みだったから

毎日お見舞いに行きました。

 

頬が痩せこけて目がくぼみ

無精ひげを生やした祖父の

生気のない姿を見るのはつらかった。

点滴を抜いてしまうから

両手足がベッドに縛り付けられていて

私がいる間だけでも紐をほどいて欲しいと

勇気を出して看護師さんに言っても

中学生で小柄な私では

じいちゃんが暴れたら

止めれないからと言って

ほどいてくれなかったことが

不甲斐なくて泣けた。

  

髭を剃り、髪にくしを通して

身だしなみを整えることや

身体拘束をしないことが

尊厳を守ることになると学びました。

 

私は看護師として

どんなに小さな存在でも

大切な人を想う気持ちを尊重するし

ご主人を心配そうにのぞき込んだり

もの言いたげに私を見つめるペットがいれば

そっと抱き上げてベッドに乗せて

ご主人の一番近くに特等席を作ります。

 

看護師になった私は

じいちゃんが身を呈して教えてくれた

死ぬということからの学びを

活かすことができます。

 

でも16歳の次女さんには

母親の死がともすれば

トラウマになって、いっそう

生きづらくなるのではないだろうか。

  

 

訪問看護が病院や施設の看護と違うのは

家族もケアの対象になるということ。

病気や障がいを持つ人が

暮らし慣れた家で過ごすためには

介護者の健康ありきだからです。

 

お一人暮らしの方を支えるためには

医療介護福祉に関わる多職種が

協力し合ってそれぞれの役割を

果たすことが大切です。

 

病院や施設のように

ソーシャルワーカーや退院調整看護師や

生活相談員がいないから

ケアマネジャーや訪問看護師には

多職種の橋渡しをして療養環境や

医療体制を整える役割があります。

 

とりわけがんや神経難病など

医療処置が必要だったり

終末期で看取りが視野に入ってくると

看護師資格がベースのケアマネジャー以外は

介護サービス調整にプレッシャーを

感じることが多いようです。

 

そういう時こそ

訪問看護師の腕の見せ所です。

 

 

 

 

次女さんのことは気がかりでしたが

タイミングを逃さずに退院した当日に

サービス担当者会議が行われました。

 

サービス担当者会議というのは

ケアマネジャーが主となり

ご本人とご家族のニーズをもとに、

療養環境の整備と

介護保険サービスを調整して

安楽で快適に生活するために行われます。

 

ご本人は

「家に帰って来れたからそれだけでいい」

ご主人は

「いちご狩りに連れていきたい」

と言いました。

 

病院は医療を提供するところなので

食事量が激減したことに対して

点滴をしていました。

お腹に溜まった水を針を刺して

3~7日間隔で抜いていました。

 

在宅では望まない医療を拒否できます。

ご本人の意思が尊重されるから。

 

私が尊敬する訪問診療医は

患者さんやご家族の話を傾聴して

看護師の情報を信頼して下さるので

キュアの引き算が得意です。

無駄を省いた医療は

患者さんや介護者の負担を和らげます。

 

点滴や腹水穿刺をするかどうかは

ご本人の要望に沿うことにして

一旦、点滴は中止して

食べたい物や飲みたい物を

口にすることになりました。

 

寝たきり状態でも意識はクリアなので

オムツ内排泄ではなく膀胱留置カテーテルで

排尿管理していましたが

食事や着替え、排便時のオムツ交換など

日常生活動作全般に介助が必要です。

 

介護ベッド、マットや手すりなどの

福祉用具や訪問入浴業者との調整をして

1日の流れをイメージしました。

 

次女さんがどこまで頑張れるかが

訪問看護の回数を決めたり

サービス調整には重要ポイントでした。

が、次女さんは会議に参加していません。

人との関わりが苦手なうえに

生活リズムが昼夜逆転傾向だったから。

 

訪問看護の時間をご主人に相談すると

次女の生活リズムを整えるためにも

午前中の早い時間がいいと言います。

9:30~10:30の範囲で

訪問することになりました。

 

翌日9:30に訪問。

チャイムを鳴らして数分経っても

シーンとしていて

ご主人に連絡したら

次女さんに電話してくれて

今起きたからもうすぐ対応しますと言って

念のため次女さんの電話番号を

教えて下さいました。

 

ほどなくして

色白のほっそりとした次女さんが

玄関ドアを開けてくれて

看護師のすることを

少し離れたところから見ていました。

 

翌日からは訪問時間に合わせて

身だしなみを整えていて

チャイムを鳴らしたら

すぐに対応してくれました。

昼夜逆転生活をしていた次女さんには

負担だったはずだけど頑張っていました。

 
 

案の定、体調は日にち単位で悪化して

退院直後は茶碗蒸しやゼリーが

食べれていたけど

4日後には水分もやっとになりました。

ご本人が点滴をして欲しいと言いました。

点滴の針を刺すのは医療者しかダメだけど

抜くのは家族などの介護者でも良いです。

 

点滴をする日にご本人が

「次女にオムツ交換の方法を教えて下さい。

便が出た時に主人が帰って来るのを

待つのが辛いです」と言いました。

 

介護指導も訪問看護師の役割です。

いつも少し離れた場所で

看護師の動きを見ている次女さんを

近くに呼び寄せて

陰部洗浄とオムツ交換の方法を

見学してもらったら

みるみるうちに顔面蒼白になり

「少し気分が悪いです」と

後ろに倒れかけてしまいました。

 

慌ててソファに座らせて

目を閉じて深呼吸を促しました。

 

オムツ交換もだけど

点滴の針を抜くのを指導するのは

トラウマになる危険がありました。

点滴が終わったら針は抜かずに

クレンメを閉じることを指導して

対処できずに困ることがあって

相談方法が分からなければ

スタンプ1つ送れば駆けつけると伝えて

LINE交換をしました。

 

針を抜く指導をするため

ご主人の帰宅時間に合わせて

21時ごろ訪問しました。

 

次女さんは疲れて寝てしまったようで

ご主人と長女さんがいました。

次女さんの毎日の頑張りを伝えて

オムツ交換はプレッシャーのようなので

対処に困れば看護師にLINEで連絡することを

助言したと伝えました。

 

次女さんが倒れたら

在宅療養の継続と自宅看取りは

不可能です。

稀なことにご主人の勤務先に

がん闘病中の奥様を支えている人が

数人いて理解が得られて

シフトチェンジや介護休暇が

とりやすいことが分かりました。

 

次女さんの異変を感じたり

プレッシャーや不安感に

押しつぶされそうになっていたら

ご主人に連絡することにしました。

 

点滴をしてもだるさがとれず

食欲もわかず

尿量も増えないので

浮腫みと腹水が増えました。

腹部膨満感がつらくて

ご本人が腹水穿刺を希望されました。

 

痛い思いをして点滴をして

腹水を抜く医療処置には

何もメリットがありません。

これからは点滴も腹水穿刺も

しないことが決まり

身の置き場がないような苦痛に対して

医療用麻薬が導入されました。

持続する痛みはないので

頓服で使用する坐薬が処方されました。

 

ご主人は座薬を使う

タイミングの見極めが上手だったので

次女さんの手を煩わせることなく

看護師とご主人のケアで苦痛緩和されて

穏やかにすやすやと

眠っていることが多かったです。

 

 

 

 

12月7日

血圧低下と呼吸状態が悪化して

残された時間は長くて数日となり

12月9日の訪問診療で在宅医から

予後は2~3日だろうと告知されました。

 

12月10日はご主人の誕生日で

12月9日に前祝いでご主人のお母様が

ケーキを持参して訪問されました。

 

12月10日は私が訪問しました。

長女さんが

「昨日の夜からほとんど寝てます。

聞こえてはいるだろうけど

反応がなくて。

イチゴの果汁を飲ませてあげたいけど

無理ですか?」と言うので

お口のお手入れをしてから

ガーゼに果汁を含ませて

唇と舌をなぜました。

吸い付く仕草を見せたので

イチゴの風味を味わえたと思います。

 

その様子を見て今度は

「お母さんに会わせたい人がいるんです。

長い付き合いで職場の同僚なんだけど

お母さんは会いたくないかな。

看護師さんは今の母に

会わせない方がいいと思いますか?」

と聞かれました。

 

まずはご本人に聞いてみたけど

声掛けに応えられる状況ではありません。

「私だったら親友が、がんと向き合って

頑張っているのを知っていながら

亡くなった後に知らされたら

どうして教えてくれなかったのかと

家族を問い詰めてしまいそう。

よく頑張ったねって褒めてあげたいし

ありがとうって伝えたい。

遺される人の気持ちを優先しても

いいんじゃないかな」と答えました。

 

長女さんが

「そうですよね。早速連絡してみます」と

ご本人の携帯を開くと

未読メールが13通あるのを発見しました。

 

1通1通ゆっくりと誰からどんな内容かを

代読してくれました。

驚くことに長女さんはメールの差出人と

お母さんの関係性をすべて把握していました。

子供会や町内会で一緒に活動した人

大学時代からの友人、お母さんを慕う人etc

親子関係が良好な証拠です。

 

それからお母さんは心配性で

天気に詳しくて

傘を持たずに出かけた日に雨が降ると

家中の傘を腕に引っかけて

駅の近くで家族の帰りを

待っていたと話してくれました。

 

 

 

 

枕元にトトロが置いてあったので

「お母さんはジブリが好きなの?」

と聞いたら

「目を開けた時にトトロを見たら

和むかなと思って置きました。

母はジブリの中ではバロンが好きです。

あれは母が買ったものです」

フィギュアを指さしました。

「妹と行けるように12月16日の

ジブリパークのチケットを

プレゼントしてくれました」

外に出れない次女さんのことが

気がかりだったに違いない。

 

「お母さん、次女さんのことを

すごく気がかりにしているんだけど

お姉ちゃんは妹さんとよく話す?

これから妹さんは

どうなっていくと思う?」

と尋ねました。

同年代なので母親の立場で考えると

子どもの未来が心配で

後ろ髪を引かれる思いで

旅立つことになりそうです。

 

「妹は高校を退学しました。

今は心を整える時間が必要だと思うから

ゆっくりと休んで欲しいです。

外に出れそうになったら

私が初めてバイトしたところの店長が

すごくいい人で人に慣れるために

ウチでバイトすればいいって

言ってくれてるから

勧めてみようと思っています。

不安がなくなるというか自信がついて

通信制の高校に通えたらいいなと思います」

長女さんは、妹の未来を考えて

自分なりにできることを

探していたようです。

 

「お姉ちゃん、しっかりしてるね。

お母さん今の話聞いて

安心したと思うよ。

お姉ちゃんは教育関係に向いてそうだけど

将来の夢がある?」と聞くと

「狭き門だけどマスコミ関係や

出版社の編集者に興味があります。

旅行が好きだから

旅館やホテルの接客もいいなあって」

夢を語ってくれました。

 

私が出版したときの編集者が20代ながら

頼りになる人だったことを話して

もし興味があるなら話ができるように

セッティングすると約束しました。

『ことりっぷ』や『るるぶ』のように

旅情報を発信する出版に

関わるのはどうかと提案してみると

「それも楽しそう♪」と言います。

 

好奇心旺盛で自己主張ができる長女さんは

強みがたくさんあります。

自分で道を切り開いていくことでしょう。

 

長女さんと私の会話を

聞いていることを示すかのように

言葉にならない声を出しました。

 

長女さんに聴力は最後まで残るから

たくさん話しかけてねと伝えて

会わせたい人の都合があるので

私は退室することにしました。

 

 

 

 

15時頃、長女さんから連絡があって

「数分ごとにうなり声をあげて

脈を測ったら1分間に85回で速いです」と

報告がありました。

「最期の時が近づいているから

可能ならお父さんに帰ってくるように

連絡してみて」と答えて

訪問1件終えてから向かいました。

ご主人はすでに帰宅していて

家族の時間を過ごしていました。

 

長女さんが

「会わせたい人の一人が来てくれました。

連絡くれてありがとうって言われました」と

言いました。

 

私は悔いの少ない別れは

『ありがとう』と『ごめんなさい』を伝えて

感謝の気持ちを表して

心のわだかまりを解消することにあると

思っています。

一方通行ではなく

お互いに通じ合うことが大切だから

亡くなってからでは遅いのです。

  

 

 

 

お母さんの近くで姉妹がキャッキャと

楽しそうに話をしています。

ご主人が

「見ての通り、自分は蚊帳の外です。

子育てにあまり関わってこなかったので

とばっちりを受けてます」と

苦笑していました。

 

私はとても暖かい家族だと思いました。

 

数時間後、息を引き取りましたと

連絡がありました。

12月11日 2時26分 

ご家族に見守られ旅立ちの時を迎えました。

 

ご主人が日だまり訪問看護ステーションに

挨拶に来て下さって

奥様の心を取り戻せなかったと

悔しそうに話していたけど

奥様の心を娘さん2人が

がっちり掴んでいたので

ご主人が入る隙が

なかっただけかもしれません。

 

付き合っていた頃の

デートの待ち合わせ場所が

葬儀場になっていたのは

幸せに仲良く

一緒に年を重ねたいと思っていた

夫婦の原点に戻るための

奥様の導きだったかもしれません。

 

これからは空から奥様が

ご主人と娘さん2人を抱きしめてくれて

困難なことがあっても

転ばないように

足元を照らしてくれるはず。

 

私はご主人と娘さん2人が

穏やかなこころと

健やかなからだで毎日を生きて

明るい未来を

歩んで行かれることを願っています。

 

 

それでは今日はこの辺で。

最後までお読み頂き

ありがとうございました。