こんばんは。

大好きな安城市の在宅医療に貢献したい!

日だまり訪問看護ステーション

看護師 山田万理です。

 


1月中旬の早朝のこと


「おとうさん冷たくて

なんも言ってくれない。

いつもより長く

寝かせてくれるなと思ってたら

ひとりで逝っちゃったみたい

どうしよう・・・

私が朝寝坊したせいで

おとうさん、ひとりで逝っちゃったよ」


パニック状態の奥様が

泣きながら電話してきました。


 

訪問したら

両手を頭の後ろで組んで

片膝立てして

眼鏡をかけたまま穏やかな表情で

冷たくなっているMさんがいました。

ベッドの頭側は

30度くらい上がっています。

 

それはいつも彼が

テレビを観るときのスタイルでした。

リラックスしているときの恰好です。

 

こんなにくつろいだ姿勢で

亡くなっている人を見るのは

初めてでした。

 

目が覚めて一番驚いたのは

本人かもしれない。

 

夜中に目が覚めて

テレビをつけて観ているうちに

うつらうつらしたら

眠っている間にこの世を去っていた。

 

私が到着したときは

テレビはついていませんでした。

奥様に聞くと

「ついとったかな? 

私が消しただかな?」

パニック状態なので何をきいても

「分からない 冷たくなってるよね

死んでしまったの? どうしよう」を

繰り返すばかり。

 

市内在住の娘さんには

さっき連絡をしたというので

私はかかりつけ医に連絡しました。

奥様はオロオロと

部屋を行ったり来たりしています。

そして私に

「私、何をすればいい?」と聞きました。

 

「まずは顔を洗ってお化粧して

服を着替えて先生を待ちましょうか」と

日常を過ごすように伝えました。

 

娘様とお孫さんに続き

在宅医が到着して

家族が見守るなか

1月19日 7時50分 

旅立ちの時を宣告されました。

 



Mさんは高血圧症が持病で

かかりつけ医とMさんの娘さんは

小学校時代からの同級生で

家族みんなのかかりつけ医です。

かかりつけ医はその人の思いを尊重して

意思決定のために的確な助言をしてくださる

私が尊敬する医師の一人です。

 


 

5月のこと。

自転車運転中に意識消失して

救急搬送されました。

 

胸水が溜まっていて検査したら

癌細胞が検出されて

肺がん末期状態の確定診断がつき

心電図で不整脈を指摘され

ペースメーカー手術を受けました。

脳に異常がなかったことから

おそらく意識消失は不整脈が要因です。

 

ペースメーカーを装着している人は

身体障害者1級に該当します。

 

Mさんはもともとスポーツマンで

学生時代は野球三昧

社会人になってから会社の実業団で

アイスホッケーをして

退職してからはグランドゴルフをして

運動を欠かさない人でした。

 

「この人、体はそんなに大きくないけど

アイスホッケーやってたのよ。

スゴイでしょ。

スケートが上手なの。

私はね、スケートシューズ履いて

手すりの掃除しとったよ」

ユーモアを交えながら

ご主人を自慢する奥様は

かわいらしかった。

 

スポーツで鍛えたご主人の体に

次々と異変が生じて

障がい者になったこと

肺がん末期状態で

残された時間が少ないことに

奥様は強い不安を感じていました。

 

10/24 退院コーディネーターから

新規利用相談が入りました。

 

・ご本人が在宅療養を希望されている

・昨年、息子様とご兄弟をがんで亡くしている

・本人に病名告知はされているが

 家族の希望で病気のステージや

 余命宣告はされていない

・奥様と娘様に

 正月は迎えられるかもしれないけど

 桜を見るのは厳しいだろうと伝えられた

・在宅酸素療法で呼吸管理している

 酸素吸入しながら

 トイレで排泄することは自立している

・症状観察、介護指導、緊急時対応

 ACP支援を目的に訪問看護をお願いしたい

・わたしノートを渡してある

・娘様が毎日通い介護する予定

 


ACP(アドバンス・ケア・プランニング)

人生会議と呼称され

どこでどのように自分らしく生きるか

命の危機的状況で

どの程度の医療を望むか

逆に拒否したい処置は何かを

本人ひとりではなく家族や大切な人

できれば専門職を交えて話し合って

共通認識しておくプロセスです。

 

自分ひとりで向き合って

結論を言葉にして明記する

リビングウィル(事前指示書)とは

異なります。

 

家族や代理決定人となり得る人と一緒に

専門職の助言を聞きながら

尊厳や価値観をもとに

意思決定するプロセスがとても大切。

なぜなら、命の危機的状況では

本人が意思を伝えられず

家族などが代理で

意思決定することになるからです。

 

『わたしノート』というのは

安城市が作成した本人の価値観を

カタチにするためのツールです。

 

『わたしノート』については

こちらの記事をどうぞ

ダウンロードして使えます

 下差し


 

新規相談から2日後に退院して

翌日に初回訪問しました。

 

ケーキを食べたと言うので

退院祝いですか?と聞いたら

娘様が結婚60年記念に

買ってきてくれたと言います。

娘様の粋な計らいに感動キラキラ

 

お2人の出会いを聞いてみたら

奥さんが嬉々として話し出しました。

 

「私たちの出会いはおしゃれなのよ。

海で出会ったの。

私が友達数人と遊びに来てて

主人は海辺のホテルに高校の同窓会で来て

カメラを持ってたの。

私が友達と写真を撮りたくて

主人にカメラを渡したら

自分ので撮りましょうかって

言ってくれて現像したら連絡しますって

連絡先を聞かれたの」

 

今のようにスマホやSNSがないから

住所を知らせて電話番号は固定電話です。

安城まで来て現像した写真を

届けてくれたのが

運命的な再会になりました。

 

奥様はお友達数人と来てたのに

なぜ奥様に声をかけたのか?

ご本人に聞いたら

「一番可愛かったから」と

小さな声で言いました。

 

うわあ驚いた目

可愛かったって言った?

そんなこと今まで

一回も聞いたことないわよ~


照れながらも嬉しそうな奥様の笑顔。

 

訪問看護師は時に

思い出を振り返る

時間旅行のナビゲーターや

その人の人生の語り手になります。

ご本人が言えずにいた言葉を引き出して

奥様に伝えることができました。


利用者の過去を振り返り

どんな未来を生きたいか一緒に考えて

今をともに過ごすことが

ACP支援だと思っています。


 


「こんなに早く

ツケが回るとは思わんかったな」

ぼそっと呟きました。

 

バブル期はタバコ、お酒、接待が

昇進に有利な条件で

1日40~60本のタバコを吸い

ジャンルを問わずお酒が飲めることが

昇進するための武器でした。

大手企業の上層部まで上り詰めましたが

代償は大きかった・・・。

 

奥様は

「この人のおかげで好き勝手生きて

楽しい人生を送ってます」が口癖でした。

上昇志向のご主人のおかげで

お金に不自由することなく

幸せに暮らしてきたそうです。

 

会社の慰安旅行はバブル期は海外で

奥様も同伴だったんだとか。

 

タイで象の背中に乗った時の感触

シンガポールでご主人の部下に

勧められるまま浴びるように飲んだ

美味しいお酒の味

ハワイのワイキキビーチで見たサンセット

ヨーロッパで見た感動的なオーロラ

 

それはそれは楽しそうに話して下さいました。

おしゃべりが大好きな奥様を

止めるでも煙たがることもなく

時々、相槌を打ちながら

きちんと聞く耳を持っていました。

 

訪問看護の時は毎度そんな感じで

帰り際にいつもご本人から

「家内の話を聞いてくれてありがとう」と

お礼の言葉を頂いていました。

 

奥様から破天荒な話を聞くのは

本当に楽しかったです。

 

学生時代にローラースケートにはまって

ケガが絶えなかったこと

マイボールを持ってボーリングに通いつめて

プロ並みの腕前だったこと

秋田犬を含め3頭を庭で飼っていた時

散歩が大変だからとスーパーカブに乗り

リードをくくりつけて

3頭同時に散歩していたことだったり


『楽しむ』ことを最優先に生きてきた

奥様の話はポジティブな

エネルギーに溢れていました。

 

(家内を)見とって飽きんでしょう?

昔から何をしでかすか分からんから

目が離せないんだよ

 

暮らし慣れた家で

奥様のおしゃべりを聞きながら

過去を懐かしむ時間は幸せだったと思う。

 

やりたいことはやり尽くしたし

行きたいところには行った

残された時間でやりたいことは

特にないんだと言う彼が

家で過ごしたい理由

これからを生きる意味は

おてんば娘が年を重ねたような奥様を

見守るためでした。

 

奥様を困らせたくないし

負担になりたくないから

力を振り絞って、呼吸を整えながら

転ばないように慎重にトイレに行き

食欲はなくても

奥様の作った料理を食べて

薬の管理を自分でしていました。


奥様は、

スポーツ万能でつい最近まで

大きな病気もせずに生きてきた

ご主人が弱っていくのを

受け止められずにいました。

 

「主人が山田さんの言うことしか

聞かなくて困ってしまいます。

私が手伝ってあげるから 

お風呂に入りなさいよって言っても

ちっとも入らんのに

山田さんはいつ来る?って

しつこく聞いて

山田さんが来ると

さっさと風呂に向かうでしょう?

この人はどういうわがままな人だね。

呆れちゃうわダッシュ

腰に両手を当てて言います。

 

Mさんは分かっていたんです。

奥様が介助して呼吸状態が悪化したら

対処ができずにパニック状態になって

いつか自分を責めてしまうことを。


だから看護師が来るまでのらりくらりと

奥様をかわしていました。

 

在宅介護をしている方は

このやり方でいいのかな

自分のすることで大切な人が

苦しい思いをしたらどうしようと思ったり

少なからず不安が

あるのではないだろうか。


不安が確信に変わると

それはやがて

後悔という傷跡になり

介護の答え合わせをするときに

間違い探しをすることになります。


訪問看護師は介護指導や

療養上のアドバイスをして

後悔しないように早めに軌道修正します。




酸素濃縮器を使用中は周囲2M以内は

火気厳禁です。

暖を取るために、ストーブをやめて

エアコンやヒーターを使うようになって

消費電力が増えたために

ある日ブレーカーが落ちました。

 

「山田さん、どうしようアセアセ

停電しちゃった。

お父さん真っ青になって来ちゃった。

あちこちでピーピー鳴ってて

何をどうしたらいいか分からん。

来て、助けて!!」


駆けつけたら家電が喋っていたり

アラームがあちこちで鳴っています。

 

真っ先に酸素飽和度を測定したら

68%まで低下していて

唇は青紫で全身に冷や汗をかいています。

苦しそうで会話はとてもできません。

 

奥様は非常時に酸素ボンベに

切り替えることは覚えていたけど

カニューレを付け替えることを忘れていて

濃縮器とボンベのどちらからも

アラームが鳴っていました。


本人は酸素が流れていない

カニューレをつけていていました。

 

まずは、酸素ボンベに繋がる

カニューレに付け替えて

最大流量を投与しながら

呼吸法を指導したら

酸素飽和度が85%まで上昇しました。


次にブレーカーを上げて

酸素濃縮器の電源を入れて

カニューレを付け替えました。

酸素ボンベは容量と流量によりますが

数時間しかもちません。


時間をかけて酸素流量を減量して

通常の2リットルにしても酸素飽和度が

91%以上をキープできているのを

確認するまでに40分を要しました。

 

※慢性閉塞性肺疾患(COPD)や

肺結核後遺症などの呼吸器疾患は特に

CO2ナルコーシスを起こしやすいので

医師の指示を厳守してください

 

停電事件でパニックになった奥様を

本人は記憶しているので

「悪いね、横着病なんだ」

という常套句で奥様を守っていました。


 奥様を安心させるための努力は

毎日していたけど

奥様介助の命がけの入浴は

幸せではないから

入浴は看護師介助でしていました。


実際に安静時と入浴時で

酸素量を調整しないと

Spo2(酸素飽和度)が一気に低下するので

機械が怖くて触れない奥様には

入浴介助は至難の業だったのです。


停電事件後から奥様に

異変を感じるようになりました。


あれ?

今日は山田さんが来る日だった?

今日、お昼ご飯食べるの忘れちゃった

そう言えば主人にも食べさせてないわ

買い物に出かけても

何を買うか忘れて帰ってきたり…


私ではこの人の面倒を見きれません。

もう無理です。

入院させてもらえない?

山田さん、頼んでくれない?

心配で怖くてそばにおれん。


奥様は気持ちにまったく余裕がなくなり

私の顔を見ると

ずっとここにいて欲しいと

泣きながらすがります。


在宅介護の限界が近づいていました。


停電事件から8日後のこと。

救急搬送することになりました。



長くなったので続きは

次回のブログに書きます。


それでは今日はこの辺で。

お読み頂きありがとうございます。