ろうあ協会70周年記念映画「咲む」、7月10日に観てきたよ。



一緒にお出かけに誘っても、8割方、面倒そうな顔しかしなくなってしまった思春期真っ盛りの娘と、その姉の後を追う息子を引っ張り出して。😊

「いい映画だった」の一言で済ませてしまうのは、ちょっと足りなすぎる、、、というか、
少し複雑な気持ちが湧いてきた作品だった。

わたしは、
「自分らしく」とか
「ありのままで」とか
なんていうか、社会のルールとか仕組みにその人を無理やりはめ込もうとするんじゃなく、
その人がその人らしくいられる社会をつくる方の視点で努力したい、と願ってきたわけなんだけど、

映画の中の主人公のろうの女性の姿から、
きれい事では済まない、いろんな現実、壁を体感したような気がした。

私は憲法13条が好きだ。
そこには、
「全て国民は個人として尊重される」
とあり、
また、幸福を追求する権利についても、
「公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする。」
とある。

初めてこの条文を読んだ時、
「あ、私も幸せになっていいんだ…」と、国の最高法規が私の人生を応援してくれているような、そんな気持ちになり、感動したことを覚えてる。

でも、
この、
「公共の福祉」というのが問題で、
つまりは、
誰かの幸せや権利と、
別の誰かの幸せや権利が、ぶつかってしまうことは当然あるわけで、
そのどちらも尊重しなければならないということ。

映画の主人公のろうの女性が、努力の末看護師の国家試験に合格したのにも関わらず、
なかなか現場で受け入れてもらえないその現実を目にした時、
私だったらどう考えるだろうかと、思考がぐるぐるした。
看護師になりたい彼女と、
採用したい気持ちはあるが、患者にもしものことがあったらと心配する現場、、
どちらの思いも理解できる。。

…きっと、正しい答えはひとつではなく、
その場面の両者にとってのベストな方法や道を見つけ出す努力が、とても必要であるということに、思い至る。
そして、その見つけ出す作業というのは、
まさに相手へ思いを馳せながらの対話の繰り返しとなるわけで、
そこにはすごいエネルギーと時間を要する。

でも、
映画のストーリーは、
登場する人々が、それぞれにさまざまな困難とぶつかりながらも、
人との関わり、対話を重ね、
自分らしくあることを諦めず(一度は諦めた人も)に、前に進もうとしていく姿が描かれていて、
それは見ていて心に響いてきた。

幸せであることと、生産性や効率性はイコールではないし、
結局は「心」という、すごく抽象的なところに私は行き着くのだけど、
でも私は、
やはりそこを大事にして生きたいし、
そういう仕事をしたいな、と思った。

つらつらと、取り止めもない感想。

上映会にお声がけくださった皆さん、ありがとうございました。

手話、少しずつでも覚えたいな。