2375 1976 (3) | 国内規制適用外

国内規制適用外

日本製輸出仕様と実銃

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by  orewaneruさん

 

 

 

 

 

 

 

 

1976  December

この号に初めてテッド今井氏が出た。永田一郎氏(イチロー)が記事を書き始めたのはこの時からだ。この少し後からカラー誌になる月刊Gunだが、ちょうどその頃の本を、引っ越し時に何年分かなくしてしまった。

写真はサンフランシスコ市が経営していたパシフィカ・シューティングレンジ。公園自体は今もある。射撃場はアーチェリーの場に変わってしまった。

サンフランシスコはガンショップが市内に一軒もなくなったことを誇りにしている所であり、隣町のデリーシティーで昔から開催されていたガンショーも開催を認めないようにした。

とにかく徹底的な銃規制推進派の最先鋒なのである。

 

 

 

実銃に関して世界一細かい制約を設けている日本では古式銃を持つしかない。しかし、これも法律が変わって、今は新規の輸入を認めないことになった。

西欧にしては珍しいほど銃規制の多いイギリスでも、前装式のハンドガンは自由に持てる。モデルガンも昔の製品を当時のままで継続所持できる。日本はかなり特殊な国だと思う。

 

 

 

近距離でしか威力のないショットガンと違い、ライフルは狙撃に使える。それをさせない為に作った法律が「装薬銃を継続して10年所持した経歴がない限り、ライフル所持は認めない」という新規制だ。もう狂気としか言えないような日本の発想である。

その後こういったライフル型散弾銃もなくなったらしいが、理由は知らない。

 

 

 

ヒッチハイクで世界を旅する和智香氏は、日本で不可能な拳銃射撃を海外から紹介した。

他の国は知らないが、アメリカでヒッチハイクができる州はなくなったように思える。人がまだ他人を信用できたのは遠い昔になってしまった。

 

 

 

前身である拳銃ファン誌の時代からガンの世界で有名だった根本忠氏が、モデルガン・ダイジェストを書き始めたのはこの号からだ。10年以上続いた人気のシリーズだったと思う。

 

 

 

当時はMGCがローマン用ウッドグリップを出していなかった為、ローマン商会によるカスタムグリップを買うしかなかった。モデルガン本体より高いと思える価格だったが、競争相手がなかったので良く売れたはずだ。

 

 

 

極めて稀にエジプトも広告を出していた。アンダーグラウンドで細々と営業している印象が強いカスタムショップだが、この時期はかなり儲かっていたようだ。

 

 

第一次規制で金属製モデルガンを諦めたMGCは、基本をプラスチック製に切り替え始めた。

リボルバーはこれの前にHighway Patrolmanがあったが、このLawmanで製品の完成度が更に上がった。

コルトリボルバーのモデルガンでありながらシリンダーのがたつきがなく、何度カラ撃ちしても壊れる心配がなくなったのである。

本当はこれより小型のDetective SpecialやChiefs Specialあたりが使えたら日本のアクション映画に理想的だったのだが、当時は強度などの問題から大型フレームのプラスチック製しか作れなかったのではないかと思う。

 

 

 

1970年代、一部の世界で知られていた人にトビー門口氏がいる。彼は仕事柄小道具製造会社と付き合いがあり、頼むとこのようなカスタムモデルを作ってくれた。

今なら珍しくもなんともない貫通仕様が、当時はなんとなく御禁制の品物を作っているようで日陰の存在だった。

最近はインサートを削り落として作るのが一般的だが、このローマンはどのように加工したのかまったく分からない。ほとんど何処にも加工の跡が残っていないのである。メーカーが直接小道具会社から依頼を受ける場合は、最初からインサートがない物を作っている。

 

 

 

Colt Detective Special

 

当然ながら実銃のシリンダーにインサートはない。そうなると、モデルガンの貫通シリンダーには希少価値があるから却って良い物に思えてしまう。私は、偏屈モデルガンマニアまたは天邪鬼なのである。

根本忠さんのペンネームにはジャック天野なる名もあった。あれは天邪鬼(アマノジャク)を洋風の語順に入れ替えたものだ。

 

 

 

 

 

カーチェイス。

 

 

 

 

 

装弾数の多い最近の銃には、なかなか便利そうなローディングツールだ。

 

 

この驚いたネコの顔が可笑しい。