逢いたい気持ち | 月と太陽

月と太陽

2年前に衝撃的な出会いがありました。自分の内面が変容するにつれて、現実も大きく変わってきて…
自分自身の思考の整理のためと、そして私の話が誰かを励ましたり、ちょっとでも参考になることがあればと思い、ブログを始めてみます。

朝、目が醒める。
雨が降っている。
雨の音を心地よく聴きながら、
寒さに躊躇して
なかなかベットから出られない。





逢いたい
  




朝一番に思ったこと、
それは
彼に逢いたい

微睡みの中で、
逢いたい気持ちを味わう。


・・・・・・・・・

ここのところ、
彼に逢いたい
という気持ちが 
大きくなっている。





でも、
なぜか
逢いたいと思ってはいけない
と感じている自分がいる。


好きなんだから、
逢いたい
と思うことは
そんなにいけないことなんだろうか?


逢いたいという気持ちが
執着になることがあるのは
経験済みだ。

自分だけのものにしたい
という意味で使われる
逢いたいは、
執着なんだろうと思う。

そして、
彼と出会ってからというもの、
彼の存在が
自分の一部になってしまったようで
意識から消えることがない。

自分と向き合うために
離れているのだから、
逢いたいと思うことよりも
自分のことに
専念しなきゃいけないのに…
そんな自分の考えとは裏腹に、
逢いたい
は消えてくれない。



  



きっと、
逢いたいと思うことが
いけないんじゃなくて、
逢ってどうしたいのか
が大事なんじゃないか…












逢えたとして、
自分の気持ちを伝えたとして、
私はどういう状況を望んでいるのだろう。

彼と愛し合っていることを
確認し合いたい。
それが私の望みだ。


でも、
必ずしも
彼と愛を確かめ合えるという
保証はない。


自分の期待とは違う結果に
落胆してしまうのが怖い
という気持ちもゼロではないし、
また出口のない絶望を味わうのは
嫌だとも思っている。

なのに、
なぜ
逢いたいと思うのか。

逢えたとして、
今、私は何を望むのか。














彼に逢えたならば、
今の私は
自分の気持ちを
ただ伝えたい。
  



離れていても
あなたを忘れることはなかったこと。
これからも
あなたを忘れることはないだろうこと。
そして、
あなたをただ愛している。

あなたが存在していればいい
ということを。






伝えたその先が
どうなろうとも、
今は自分の気持ちを
伝えるために
逢いたい。

そう思う。



その逢いたいは
執着ではないんじゃないか…

結果に拘らず、
愛を伝えるための
逢いたいは
執着ではないんじゃないか…

どうやったって消えない
逢いたいという気持ちを
真っ直ぐに認めてあげても
いいんじゃないか…


雨の音を聴きながら、
自分の奥深い場所へ問う。