神様が100パーセント造ってあげてはならないのです。95パーセントは神様が造り、5パーセントは人間自身が責任を持つのです。そのようにしてこそ、100パーセントを満たす時に、協力者として同等の位置に立つことができるのです。そのようにすれば、絶対的主体である神様のみ前に堂々と相対的な資格を備えた位置で、愛を授け受けできるのです。このようにして愛の理想を形成することができます。責任分担がなければ、私たち自体では神様の愛の理想を、対等な位置で受けるにふさわしい威信を立てることができません。それで、神様は、人間に神様の愛を受けることができる威信を立てさせてあげるために責任分担を設定したのです。
神様が100パーセント造ってあげてはならないのです。95パーセントは神様が造り、5パーセントは人間自身が責任を持つのです。そのようにしてこそ、100パーセントを満たす時に、協力者として同等の位置に立つことができるのです。そのようにすれば、絶対的主体である神様のみ前に堂々と相対的な資格を備えた位置で、愛を授け受けできるのです。このようにして愛の理想を形成することができます。責任分担がなければ、私たち自体では神様の愛の理想を、対等な位置で受けるにふさわしい威信を立てることができません。それで、神様は、人間に神様の愛を受けることができる威信を立てさせてあげるために責任分担を設定したのです。
アダムとエバの前におかれた責任分担は、一度誤れば億千万年の間、人間にとって癌となる恐ろしい落とし穴になります。このような責任分担を果たすべき立場にいるアダムとエバなので、神様はサタンの攻撃があることを予想し、「取って食べてはいけない」と警告したのです。それにもかかわらず善悪の実を取って食べたので、それを見つめる神様の心はどうだったでしょうか。
そのような立場から外れていく瞬間にも、神様は「おまえだけはそうしないだろう」と信じたかったでしょう。
神様が愛を訪ねていく対象を造ろうとするとき、誰に似るように造ったのでしょうか。神様に似るように造ったのです。
神様に似るように造るなら、神様の中にある男性の性稟がなければならず、女性の性稟がなければなりません。そのため、二性性相の論理が出てきます。神様に似るように造るのですが、神様が自分の本性相と本形状からすべて抜き出して、見えない性相と見えない形状を実体として展開させたのが人間です。ですから、聖書の創世記に出てくる、神様が御自分の形状の通りに人間を創造したという言葉は正しいのです。