この世界の創造物は、すべて相対理想のペアシステムになっています。ですから、二数が必ず必要です。極めて小さな存在から大きな存在まで、人は個人で心と体が一つになり、その次には、夫婦が一つになり、霊界と肉界が一つにならなければなりません。元から一つになっていかなければなりません。




私たちは、神様の代身として愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生んで、愛の目的地に到達して、永遠に神様と共に生きるために、神様のところに帰るのです。すなわち私たちの一生とは、愛で始まり、愛で熱し、愛の実として収められるのです。人が死ぬということは、愛の実を収めることです。私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、「私」が一生をかけて実を結んで収め、あの世に行くのです。
したがって、私たちが愛で完全に一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が合わさって、このような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に永遠に相対的な神様になります。真の愛を中心として夫婦が死ぬと、そのようになります。そのように、神様で始まって、神様で締めくくるのです。




第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。皆さんは地から、皆さんの体が大きくなれるよう、すべての要素を供給してもらいます。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入るのが死ぬことです。第三の父母に入っていくとき、そのまま入るのではありません。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。したがって、なぜ結婚するのかというと、神様の形に似るためなのです。
神様は、二性性相としていらっしゃる方として、各一性が合体化した一律的な存在であり、その神様の分性的人格が男性と女性なので、彼らが一体化して結実体のようになり、神様の本性の位置に帰らなければなりません。しかし、その結実体をつなげるためには、愛の道を通じなければならないので、生まれて愛を受け、育つ時も愛を目標として育ち、生きるときも愛を中心として生き、歩む時も愛に帰るために歩まなければなりません。その道は、為に生きる目標を中心として訪ねていかなければ、方向が逸れてしまいます。