イエス様も本郷を創建するために来られましたが、その本郷を創建できずに亡くなりました。「神の国は、実にあなた方のただ中にある」と言われましたが、イエス様も天国を直接見ることはできなかったのです。歴史過程に生まれては死んでいった立派な予言者や烈士、聖賢、君子であっても、その一つの場所を見ることができず、その一日を迎えることができず、堕落した先祖から悪の血統を受け継いだすべての人々も、本郷とはいまだに関係を持つことができていないのです。
ですから、すべての人は理想を探し求めていくのです。本郷を探すために行くのです。それでは、その世界はどのような世界ですか。お互いに反目し、人が成功すれば嫉妬し、人が喜べば耐えられないという世界ではありません。一人が成功するのは、全体を代表して成功することであり、一人が喜ぶことは全体に代わって喜ぶことなので、一人が嬉しく思えば、全体が嬉しく思い、一人が喜べば全体がそれにつれて喜ぶところが本郷です。




天国は、膨大なところです。この宇宙よりもっと大きく、もっと広い世界です。それは、形容できないほど膨大な世界です。そして、その世界では、愛する人がその世界のどこにいたとしても、「私」が「会いたい」と思えば、直ちに現れます。どのような心を持って会いたいと思うのか、あちら側ではすぐに分かるのです。来るやいなや、挨拶します。「このように思ってくれてありがとう」と相手が思ったことを言ってくれるのです。
ですから、心の世界を説明する必要がありません。説明する必要がなく、すべて感じるのです。そこに行って会えば、どのような事を話すのかわかります。分かってから聞くのです。どれほど素晴らしい世界ですか。
真の愛は直短距離を通じます。真の愛は直短距離を通じ、真の愛の速度は最高の速度です。愛する子女が外国に出ていたとしても、父母がその子女を思えば、すぐに子女のところに行くのです。距離を超越します。真の愛の速度は最高の速度なので、この膨大な宇宙を自分の生活舞台と定めるのです。時間と空間を超越するので、距離感がありません。すべて目の前にあるのと同じです。




神様が人間の父母であるならば、人間をどのように造ったのでしょうか。愛の神様が人間を造るとき、神様の愛に同参させた位置から出発したというのです。神様の心から出発し、神様の愛の懐で育ち、神様の愛の懐で成熟して家庭を形成し、この地上で世界的な愛と連結させることができる成熟者となり、神様の愛の懐に帰らなければならないのが人生の道です。