彼女の言葉を聞いた途端、俺のこめかみの辺りで、小さくパチンと音がした。
俺は後続のS2000との車間をミラーで確認しながら、ZF社製ATミッションのセレクターを「スポーツ」に切り替えた。これで、ATのシフトタイミングはレブリミットぎりぎりに変更される。
「少し揺れるけど掴まってて」俺は彼女に声をかける。隣から息をのむ気配が伝わる。
もう一度ルームミラーで後方を確認したあと、俺は左足をブレーキペダルに乗せた。遊びの分だけ踏まれたブレーキペダルは、制動を掛けずにブレーキランプだけを点灯させる。
焦ったS2000が急ブレーキを踏むのが判った。140km/hで車間5m程度なのに、目の前でブレーキランプが点灯すれば、誰だって焦るのは当たり前だ。急制動により挙動を崩したS2000が、激しいスキッド音と共に2、3度ローリングする。今、後続のドライバーは、自分のハイパワー車のコントロールに四苦八苦しているに違いない。
急に拡がった後続車との車間距離を確認し、俺はアクセルペダルをフロアいっぱいに踏み込んだ。アクセルペダルは、その直下のフロアに配置されたキックダウンスイッチを押し込み、その瞬間、回転計の針を跳ね上げ、E30は猛加速を始める。
各速レブリミットまで引っ張られたシルキーシックスは猛々しく加速し、速度計の針は、240km/hまで切られた指標の突き当たりを目指す。
もうS2000は追ってこない。多分戦意喪失したのだろう。まともに走り比べをしたら絶対に負けるはずのない相手に、ここまで水を開けられたら、誰だって戦う気を失う。
クルマを速く走らせるには、自分のクルマの特性を熟知することと、駆け引きが必要となる。自分の後方にぴったりと張り付く相手を引きはがすにはどうしたら良いか。その方法を多く知っている程,こうしたバトルでは優位に立つ事が出来る。
いくら高性能・ハイパワーのクルマに乗っていても、その方法が分からなければ宝の持ち腐れだ。
あのS2000のドライバーも、カタログに記載されたスペックに踊らされたひとりなのだろう。カタログをどんなに熟読したって、自分のドライビングスキルが向上する訳ではない。クルマを走らせるのは、活字ではなくステアリングを握る人間なのだ。
俺は踏み込んでいたアクセルをゆっくりと戻し始める。スムーズなキックダウンとともに、E30は緩やかに減速し、先ほどと同じ巡航速度に戻った。
軽く溜息をつき、俺は助手席の彼女の様子を窺った。
彼女は俯き、じっと目を閉じている。唇からは荒い吐息が洩れ、頬は上気したように赤い。
怖かったのだろう、そう思った。恐怖で軽いショック状態なのだと。
彼女はその両膝を固く閉じ、少し居心地が悪そうに腰を動かした。
まさか、失禁?不意に思ったが、しかし、そうではなかった。
固く閉じた両膝を擦りあわせるようにしながら、彼女は潤んだ目でこう言った。
「恥ずかしいけど、いっちゃった。」
彼女は、あのスピードの中、明らかなエクスタシーを感じ、絶頂に達していたのだ。
スピードというものに快感を感じる人間はたくさんいる。しかし、大概のそれは、性的快感とは別のものだ。だが彼女は、明らかに性的に興奮し、絶頂を迎えていた。
俺は彼女の上気した顔を視界の端に捉えつつ、複雑な気持ちのまま、クルマを走らせた。
ー続くー