【日日無事に秋の夕暮れ】
昨日は福島で、桃「ゆうぞら」を求めたきた。帰途の照南池に、雨のためか蝉の声は寂としてなかった。ひぐらしの泣かないままに秋の夕暮れである。
今日は、放射線医の定期診察である。問診と先日のCTをもとに診断が下される。一言で言えば「様子を見ましょう」である。シフラの値を含めて特に異常はない、放射線は効いているとの見立てなのである。だが、体力の衰え感は強く、それが、治療の後遺症なのか、単なる老化なのか、それとも転移による症状なのかの見極めがつかない。日日無事に過ごすことに専心して過ごすのみである。なんだか虚しい。
【NHK大河】
さて、「豊臣兄弟」が迷走している。秀長を主人公にするなど着眼点がいいと評価していたのだが、本能寺以降、タガが外れたように小劇場化している。つまり、身内ギャグで盛り上げるが、部外者は白けるばかりの作劇である。また、秀長がかすみ、秀吉を軸とした、ただの「令和版太閤記」に変じてしまった感がある。
先々週は、中川清秀が秀吉を裏切っていたので、勝家を裏切った利長が刺殺した、という場面があった。これには中川ゆかりの地から抗議があったらしい。中川は裏切っていない。砦を守り勇敢に戦って戦死した。故人の名を汚すな、というわけである。
ただの恩知らずテロリスト扱いされた利長側からも、同様の抗議が発せられるかもしれない。しかし、ことは人のふるまいである。通説とは異なる、その様な展開が真実だった可能性がないわけではない。
【あなたと私は蝶になる】
今週も呆気にとられた。勝家と市は自刃したのではなく、天守からお手手繋いで投身した、というものである。これもまた、人の振るまいである。通説とは異なる、その様な末路が真実だったのかもしれない。
また、北ノ庄での勝利の後、秀吉が身内を集めて宴会を開き、世評を気にすることなく浮かれ踊ったというのも、本当にあったのかもしれない。茶々を初めとする市の娘たちが、喪に服することもなく、着飾って人前に出てくるのも許されるのかもしれない。それもまた、人の振るまいである。ないわけではない。
【法に反する接着剤】
しかし、千利休とのやり取りはいけない。宇宙の法に反している。
利休が秀長とぶつかって割れた茶碗を金継ぎする。そしてその日のうちに、その茶碗で秀長に一服を饗する。「この方が良い」などといいながらである。
利休は修復時、竹べらで茶色の溶剤を破片に塗り付けていた。戦国時代にエポキシ系接着剤はなかったはずだから、あれは漆である。漆の場合、完全な乾燥、接着には半年ほどかかる。その後に、金粉の塗布である。その日のうちに使用するなど不可能である。化学的にあり得ないのだ。人のすることと同様に、あるかもしれないと見過ごすことはできない。無理なのである。
茶なんか苦くてまずい、砂糖の甘さを楽しむために呑む、というような利休の発言とともに、茶碗を重要な商売の手段とする茶道家元がこぞって抗議するかもしれない。
【野放図にしたたかに】
最近、あちらこちらでこのような言行が横行する。大河もその風潮に乗っかっての作劇なのだろう。周りの人と盛り上がれれば、そこにいない人など無視してかまわない。まして、10年先や、孫子の時代など考えなくてかまわない。楽しくやろうぜ、という風潮である。シンゾー君はハルヒコ君とのコンビでその様に振る舞い、今の円暴落という国難を招いた。サナエちゃんもまた、140兆円の大盤振る舞いで日本の財政を行き詰まらせる。なにしろ、国債発行の上限も単年度収支バランスも制限なしなのである。タガが外れまくっている。
将来、崩壊の後に意見を求められた時には悪気はなかったので反省しない、とでもいうのだろう。開き直りはお得意である。