【猫の反乱】
実はここ数日、家人がいない。義妹看護のため隣県にお泊まりなのである。猫の世話は家人の役割なので当方は必要最低限しかしない。餌を補充するくらいである。おやつはあげない。
外猫は戸惑い、キャットフードにさえあまり手を出さなくなった。しかし今日は、もう我慢ならねえ、ええ加減にせえよという感じで啼き喚き、網戸に登って催促をする。無視したけどね。
家猫は、やけにひっついてくる。夜は当方の寝室で寝るようになり、今日など、いつのまにかベッドのど真ん中に丸まっていた。妙に暑苦しい、足が窮屈だと思ったらそういうことだったのである。
しかし本日昼、家人が帰還した。これで、夜の献立の工夫から解放されるので気が楽である。しかし、一番ほっとしているのは猫たちかもしれない。すっかり落ち着き、温和に変じたのである。
【同じ穴の新聞】
さて、高市が消費税減税を表明した。来年4月から食料品を2年限り、1%に引き下げである。総選挙後、半年経ってようやく方針が示されたのは、強引かつお粗末な国会運営で低下した支持率挽回を狙ってのことに違いない。
各紙の反応は、反対一色である。朝日から産経に至るまで、仲良しこよしの肩組み徒競走である。社説を見ると次のような感じである。
《東京新聞》財源棚上げする無責任
《朝日新聞》社会保障の安定損なう無責任
《毎日新聞》将来に禍根を残す浅慮だ
《読売新聞》禍根を残しかねない
《産経新聞》財源確保の具体策
【消費税は一般税のはず】
総選挙の公約なんか無視して、つまりは民主主義など他所において、財政規律を優先しろ、といっているのである。
もちろん差異はある。例えば読売は財源に穴が開くと心配し、産経は防衛費の財源にしわ寄せがいくと問題視している。共通しているのは、社会保障の財源となっているのだから下げるな、である。しかし、どれも牽強付会もいいところである。朝日新聞を例に検討してみる。
第一に、消費税は目的税ではない。10%増税の時に「100年安心」とかいって、あたかも社会保障のためであるかのように装ったが、その後、給付削減と自己負担増が目白押しとなった。この消費税と社会保障の乖離は、高市政権の今も現在進行中である。
社会保障は、憲法に規定されている。消費税などという後発の税に依存しなくとも、すべての税収で実現するべき国の責務なのである。
【消費税の不公平】
第二に、朝日の天声人語では「多くを消費する人、高級品を買う人ほど恩恵の幅は大きい」から「公平とはいえぬ」という。所得に占める負担率の差異を無視して、税額の大小を問題にするという幼稚なすり替えである。。
消費税は逆進的であり、本質的に金持ち優遇なのだ。不公平が問題だというなら、ぜいたく品にのみ課税していた物品税に戻すべきということになる。食料品も1%ではなく0%が正しいということになる。しかし財務省は、たとえ一部であっても0%消費税は認めない。消費税がかからない国内消費を許せないのだ。
【みんなで負担するために】
毎日の、消費税導入の目的は、少子高齢化という「日本社会の構造転換に対応するため」に、国民が広く負担する消費税が適切だという主張もインチキである。
どうして国民のみが負担しなければならないのだろうか。企業にも広く負担してもらうべきだ。その方がより「広く負担する」ことになる。また、そんなに真剣に国の「将来」を憂えるなら、新聞業界は真っ先に8%軽減税率を返上し、国民と同等の負担を負うべきである。
【覚悟の上の敵役】
僅か2%の優遇でここまで飼いならされる。高市が、1%にすれば支持率が回復がする、と妄想するのも無理はない。うまくいったらいよいよ憲法改正だぜい、という算段なのだろう。新聞は財政規律を謳い文句に反対して見せることで、実は政権支持を回復させる役割を演じているのではないだろうか。しかし国民にとって仇は敵である。「将来」の部数低下は不可避となる。その覚悟があってのことなのだろうが、自爆以外の何ものでもない。