【梅雨の来ぬ間に】
ツツジはとうに散り果て、皐月も終わりを迎えている。この類い花の散り際が醜悪である。しぼんだ花弁が葉の上にべったりと張り付き、眼を背けたくなる。そこで毎朝、歯を磨きながら取り除くのが日課である。
午後、爺さんは山に草刈りに出かけたのだが、道々に立葵が咲き誇り、シオカラが飛翔していた。この調子で、梅雨を省いていきなり夏になるのかもしれない。
【言わずにいう】
さて、今上陛下が蘭・白公式訪問前の記者会見で、皇室典範改正に関する質問に答えられた。皇族数確保策に関しては、「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」である。何の変哲もない一般論に過ぎない、ということにはならない。一般論も、特殊個別的状況の中では、特定の意思表示となる。
【あっそうではない】
高市政権の皇室典範改正案には、男系男子にこだわり、女系天皇を阻止する意図がある。世論はそれに同意しているかのようではあるが、同時に女系天皇容認が7割に達している。相反する答えとなるのは、質問が国民の日常感覚とは異質だからである。国民の通念で理解できるように、「愛子天皇を認めるか否か」と単純明快に尋ねたら、どうなるかは歴然としている。
その様な中での「国民の皆さんの理解」の意味するところは明白である。「国民が愛子天皇を認めるのであればその即位を望む」である。それは、主権者である国民と、象徴である天皇との一致する意思である。否定する者は、国民を代表しない反民主主義者であるだけでなく、お上の意に背く逆臣である。
【天皇家の理解と協力のもとで】
もっと、具体的に考えてみよう。旧宮家から養子を迎え、そのあげくに天皇に即位するようなケースである。たとえばあの竹田某が天皇になったりしたら、品性下劣な振る舞いで国際的な顰蹙を買い、国民を分裂させるのは避けられない。考えただけで身の毛がよだつ。愛子天皇と比較することなど不能である。
天皇制は日本の資産である。損するだけで国民を統合し、類い稀な外交装置となる。その貴重な資産を活かし、継承していくために必要なのは、男系にこだわることなのか、長子継承に梶を切る方がいいのか、決めるのは国会議員の「総意」ではない。国民の「総意」である。