【ハナ差の暴走】

 今村聖奈がオークスをとった。女性初騎乗ということでレース前から話題になっていたのだが、まあ敗けるだろうなと見ていた。ところが見事な制覇である。すばらしい。

 若隆景渥は2度目の優勝である。こちらも、いつもつまずく序盤で勝ち進み、今場所は少し違うなと思いつつ、どうせまた10勝に届かないだろうと醒めていた。それが立ち合いからの一気の押しを終盤に見せるようになり、決定戦を制しての優勝である。すばらしい。

 ところで、ジュウリョクピエロと福島をミックスで代弁して、相馬野馬追いの暴走を陳謝する。パニックになってしまったのだろう、外れかけた鞍をつけての暴走であった。人間の鞍装着の不手際である。くれぐれも馬を責めないように。

【手取りが減る】

 さて、5月の給料から「子ども・子育て支援金」が徴収される。額は標準報酬月額の0.23%、労働者負担を0.115%だが、たかだか数百円と油断はできない。

 子ども家庭庁は「実質負担ゼロ」を標榜している。社会保障の歳出改革によって社会保険料の負担が軽減され相殺されるから、手取りは減らない、というのである。

 しかし、保険料軽減は、自己負担増とセットである。OTC類似薬の保険適用除外や、高額療養費引き上げで浮かした金で保険料を減らしている。しっかりと自己負担増となっているのだから、国民の財布が以前より軽くなるのは間違いない。「実質負担増」なのである。それを保険料の額だけに着目して「実質負担ゼロ」だという。虚言に呆れる。

【屁理屈の構造】

 子育て支援金は不要だというのではない。しかしそれは社会保障ではなく社会福祉の分野であり、財源は税で確保するのが筋である。家庭庁は「なぜ、支援金は『税』ではなく『社会保険』なの」とのQ&Aで説明を試みているが、これが論理破綻の文章の典型である。

(1)行政サービスは税を財源とすると認めておきながら、社会保障は一般財源と社会保険料などを組み合わせて財源とする、としている。社会福祉を社会保障にすり替えることで正当化している。

(2)児童手当や保育・育児休業給付などに社会保険料が使われているので、支援金ヘの支出もかまわないとする。後期高齢者医療への拠出も持ち出している。既成事実、先例主義の手法である。原則はとっくに踏み外している、悪いのは俺達だけじゃない、というわけである。

(3)社会的な危機なのだから、全世代が全員で「支え合うこととし」社会保険料として拠出していただく、というにいたっては理屈になっていない。社会保険料は現役世代、勤労者が負担するのであり、全世代でも全員でもない。そこがまさしく問題なのだ。全世代というなら小学生は負担しなくていいのか、という突っ込みは控えておく。どうせへ理屈なのである。

【将来の増長は確実】

 2023年末、岸田内閣の「子ども未来戦略」の閣議決定により、3年かけての増徴が決まっている。06兆円から1兆円程度と示しているから、倍になるのは確実と考えた方がいい。「一概に申し上げることはできない」と、保険料の引き上げを否定してはいないのである。

 そして、3年で増徴、自己負担がお終いとなる保障などない。「復興支援税」のように、いつの間にか軍事費に転用されるなどということになるのかもしれない。油断も隙もない。

 子ども一人当たり146万円の給付拡充というのも胡散臭い。よく見ると高校生までの合計金額に過ぎない。年換算すると8万円強にすぎない。

【愚者は滅びる】

 実は、これらの策によって子どもが増える保障などどこにもない。年8万円で子どもが増えるか。官僚の頭の中というお花畑で咲く花に過ぎない。

 子どもを増やしたいのなら、現実の畑を耕すべきである。8時間労働で安定した生活が可能なら、伴侶を見つけ、子を作ることが可能になる。その様な、生物として繁殖できる畑を、社会的に整えるべきである。非正規を拡大して人間をコスト扱いし、裁量労働制を拡大して極限まで働かせる。そのあげくに稼ぎの半分が住居費に持っていかれるようでは、日本人は氷の溶けた海の白熊同然である。一人で泳ぐので手いっぱいで、子熊を育むなどできようはずがない。

 「支援金」のための拠出増とは、その様な溺れかけたものに付着するフジツボである。次第に数を増し、その重みで海底に引きずり込むようになるだけだ。かくして、大和民族は「世代間の扶け合い」という美しい呪文を唱えながら衰退していく。