【首級のような】

 筍を掘りに行った。フジの花が満開となっていたので遅いくらいである。案の定、竹林は猪が掘り返した穴で凸凹になっていた。20箇所ではきかない。今年は全滅かと諦めかけたら、1箇所だけ被害を免れてい流ところがあった。筍が倒木に挟まれて伸びたため、猪の牙が届かず、掘り返せなかったと思われる。30センチほどにも伸びた代物ではあったが、ありがたく収穫させていただいた。残り物には福がある、かもしれない。

 スコップで掘り返し、折れたのを見計らって掴み上げ、地上に転がした。その時、重さといい、揺れ具合といい、地面での響きといい、なんだか首級をとったみたいだな、と感じた。経験はないのだけれど、ちょどそんな感じなのである。そういえばその辺りは、南下してきた伊達が、在地土豪(大内氏、伊東氏ら)と争った一帯である。ひょっとすると、実際に首を取ったり取られたりしていたところだったのかもしれない。それでリアルな感覚が、筍に蘇ったのかもしれない。

 筍は、糠と椿の葉で1時間ほど煮込み、今夜一晩玄関に放置する。柔らかいところは筍ご飯、硬めのところはメンマにして保存する予定である。

【娑婆に復帰】

 さて、昨日退院したのだが、一悶着あった。

 医師が、抗がん剤の副作用を確認するために入院を2日延長しろというのである。3日の間何も喰えていない。退院先延ばしは、絶食を2日延長しろと申し渡すに等しい。

 4年前の入院時にも食えなくなった。病院の調理と相性が悪いのだ。そこで今回は、持ち込み食材で対応するつもりだった。ところがこれが2日で破綻する。3日目からは果物やヨーグルトでさえ食えなくなった。しまいには水にさえ嘔吐感が募った。

 体重は激減し、とうとう60キロを切ってしまった。入院で4キロは減ったことになる。

【パターナリズムを疑わない】

 医師は、食えなくても点滴栄養剤で補うというが、点滴はほとんどがカロリーである。必要な栄養素が足りていないから、血液検査の上半分が軒並み再検査になっているのだ。この上、2日も絶食を延ばしたら、衰弱は疑いない。

 医師がなぜ、患者の体調を度外視して入院延長を勧めるのかというと、ひとつは病院の経営戦略である。できるだけ長く入院させて売り上げを伸ばす。患者が病院食を食えるかどうかなどは考慮の外である。

 もう一つは、パターナリズムである。医師は病院の方針に従い、患者は医師の指示に従う。その際に個別的事情など勘案しない。個別具体的な状況を度外視し、一定の類型で処理する。「化学療法ののちには一定期間を入院して経過観察」である。それが標準的な対処である。その結果、患者が健康を害しても、仕方がなかった。医師にも病院にも責任はない。それが彼らの「エビデンス」の正体である。

【医療も自己責任】

 入院延長を申し渡したのは主治医ではない。彼はおそらく連休休暇にでも入っているのだろう。そこで、新任の医師が代わりにやってきた。そのような地位にあるものが、パターナリズムを踏み外し、患者優先で対応できるわけがない。

 どうしても院内に留めたいならせめて、点滴終了後短時間で退院すると、体内に残留している抗がん剤が排せつ時に拡散する怖れがあるからなど、医学的装いを凝らして欲しかった。

 最後に彼は、外で喰えるのだったら「自己責任」でと投げ出した。医療現場で「自己責任」の言を聞くとは思わなかった。対等ではない関係において成立するはずのない概念が、便利な打開策として用いられる。その浸透ぶりには驚く。

【病院の松竹梅】

 洋服に、オーダーとイージーオーダー、吊るしのランクがあるように、松竹梅は全てのサービスにいえることなのだろう。

 病院の縁者やビッグは松である。「ドクターX」における患者達と言ってもいい。竹は病院関係者や地元有力者、そして梅は一般人である。

 個室に入院していたのだが、その扱いは梅であった。この分で行くと、大部屋は木瓜なのかもしれない。下には下があるのである。竹として真っ当な待遇を受けるためには、ランクをもう一つ上の個室にしなければならないのかもしれない。格差は細分化されるのである。

 退院直前の説明には、なんと研修医がやってきた。吊るしの上に古着扱い、というところか。

【ファーストラインの終了】

 12日には放射線も終了の予定である。それまで外来で通院することになる。上手く根治に至ればいいが、不成功だった場合には次はセカンドラインの治療となる。目的は治癒ではなくQOLの確保である。転院を検討しなければならなくなるのかもしれない。