【花見湯】
昨日、病院の帰りの足を少し伸ばして、温泉に向かった。
露天風呂の傍らに桜の樹があり、満開の花を見上げながら湯に浸かる。散り始めの花びらが舞い、湯の面をたゆたう。今でなければ浸れない風情である。
【老人たちの会話】
同好の暇人は年寄しかいない。それも、70代、80代のようである。常連であるだけでなく、昔からの顔なじみでもあるらしい。大声でのやり取りが絶えることがない。しかしその話に中身はまったくない。
たとえば、駅付近の魚屋に関して盛り上がった。刺し身を買って帰るつもりだというのである。品質がいい店がある。しかし、その所在地を説明できない。ほら、あの、文化センターを上がったところ、その信号の角、とあいまいこの上ない。誰もが知る起点から、方角と距離で示したりはしないのだ。
商店名さえ明示できない。ほらあの、山いち、いや山や、いや山何とか、といった塩梅である。高品質の魚を求め、さも常連であるかのように吹聴しながら、店名さえおぼつかない。不思議である。
【高額退職金】
互いの知人に関する話題もあった。ざっとまとめると次の様な内容である。
あいつは80過ぎなのに若く見える。生活にゆとりがあるからかもしれない。郵便局員として東北を転勤し、最後は近くの局長を務めた。退職が民営化前だったから退職金が4000万円ほどになった。民営化前にやめてよかったといっていた。
しかしこれも魚屋と同様に疑問がある。いくら公社時代とはいえ、局長にそれほどの退職金が支払われたとは信じられない。確かに現在の2000万円よりは多かったのだろうが、倍ということはないはずだ。
しかしその根拠不明の金額は彼らの間でしっかりと固定され、公務員は何かと優遇されるという心証を共有することになるのだろう。
【大衆の日常】
人は、科学的でなくとも、道徳的でなくとも生きられる。本能に基づく衝動を、習慣で制御し、慣習に合わせていれば何とかなる。正確な位置関係の把握や、精緻な報酬比較など行なわなくとも、哲学や宗教を知らなくとも、事象にまつわる印象さえ形成しておけばなんとかなる。対面する相手に話を合わせる、ケンカにならないように付き合うことこそが肝要なのだ。日常はそのように何とは無しに過ぎていく。
国際政治もその延長線上に論じられる。某国では、「イスラムは俺達の社会を壊そうとしているのだから、ちょっと目立つ連中を殲滅するのもやむを得ない」などという言説が横行する。ムスリム社会の大衆も、「キリシタンは俺達に」とやり取りしているのかもしれない。そこに、真の意味での神など存在しない。猿に毛の生えた、いや、猿の毛が抜けたような動物がいるだけだ。
【桜散る】
かくして、文明とは何かを知らない商売人が、敵を「石器時代に戻してやる」と脅してはばからない世となった。力がすべてだというが、ネアンデルタール人でもそこまで野蛮ではなかったはずだ。
かくなる上は、古代文明の勢力圏ごとに結集するしかないのかもしれない。ローマ、メソポタミア、インド、中国、インカの文明を継承する国家の連携である。問題は、日本が中国文明に組み入れてもらえるかどうかにある。ひょっとすると、英米露同様に未開民族とされ、排除されることになるかもしれない。タバコをくわえながら、笑顔ですごむオバサンを想像するたび、絶望的な気分になるのである。