【春の眠り】

 夜半から雨になった。雨音を聞いたのは久しぶりのような気がする。そんな雨の中に、猫は5時前に出ていった。もちろん、玄関を開けろとの催促で人を起こしての上である。しかしそのまま眠れなくなるというハメにはならなかった。6時過ぎまでウトウトと床の中だった。春という季節の催眠効用というものだろうか。

【目に見えるものしか信じない】

 さて、今日の朝日新聞にM・サッチャーに関する論説があった。公共性の喪失を警告する内容である。

 サッチャーは、インタビューに「社会などというものは存在しないのです。存在するのは、個々の男と女ですし、家族です」と答えた。「私たちの生活の質は、お互いがどれだけ自分自身への責任を果たす気でいるのかにかかっている」とも述べたという。80年代の英国並びに世界は、このような目に見えるものしか信じられない、即ち、頭の悪い人物に翻弄されたのである。

【神無き世の愛なき人々】

 英国の資本主義は、その自然と人間共同体を解体した。存在するのは人為的な緑とばらばらな個人のみになった。人間は集団でないと生きられない生物なので、最後の拠り所としての家族だけは残された。

 彼らの貧しさは、野菜を水煮して喰うだけの食文化となっただけではない。宗教もその本質を失い、神と個人のサービス契約もどきとなってしまった。真の癒しのない宗教のもとで、人々は非道をためらわない。アヘンを売り、他国の指導者を暗殺し、力をちらつかせながら恫喝した。今に始まった事ではないのだ。

【悪党登場】

 そのような文化の中にフリードマンが登場し、政府なんかいらない。共同体など不要だと宣言した。各人が所得の最大化を図ればすべてはうまくいく、というのだ。実際には、フリードマンにとっては他人などどうでもいい。フリードマン個人の所得が増えるのを誰も邪魔するな、といっているだけなのだが、そこまでとは考えない人々が賛同し、「小さな政府」、「自己責任論」は世界に蔓延した。「人類の幸福」のためなどとは考えもしない。そのような考えは「敵」の考えなのだ。サッチャーはその同種である。

【トランプという典型】

 この傾向は米国にも継承されている。トランプの無法によって世界は大迷惑なのだが、トランプとその家族は確実に資産を増やしているのだろう。何しろインサイダー情報が手に入り放題というか、自分で作り出しているのだから訳もない。資源や通貨の投資によって、莫大な富を手にしているはずである。まさしく、他人の不幸は蜜の味なのである。そのせいで世界が滅びようと知ったことではない。「世界などというものは存在しないのです。存在するのは、個々の男と女ですし、家族」なのだから。

【共同体の中で生きる】

 人のことはいえない。自分も相当に個人主義である。人と関わるのは苦手である。

 子供の頃、田舎の祖父母の家に行くと、近隣の人がふいにやってきて囲炉裏端で長話をしていくのが不思議だった。茶やどぶろくが回され、漬物や菓子が振る舞われる。それは、雪に閉ざされた山村の娯楽であるとともに、生きがいだったのだろう。

 同じような光景は、トルコのチャイハネでも見た。店内は男のみで、1杯20円ほどのチャイを飲みながら知り合いを待つ。見つけると実に嬉しそうな、生きていて良かったというような顔になる。同胞との交流は楽しみであるだけでなく、生計を維持する絆ともなっているのだろう。彼らはまだ、共同体の中に生きていた。

【蕎麦を打つ】

 今日は蕎麦を打った。庭の隅にギョウジャニンニクの芽が出ており、その天ぷらにゼンマイ炒めを副食にした。昨夜はガイヤーンを焼いたし、得意なというか、自分の食いたいものを納得できる味で食っておきたい。家族に食わしておきたい、と思ってしまうのだ。そして、隣近所におすそ分けしようなどという気がないところなど、実に英国風なのである。