【最後っ屁の様なおまけ切符】
さて、東京である。
今回は「たびキュン♥早割りパス」というチケットを用いた。駅ネットの「お得な切符」で見つけた、1万円で全線乗り放題という代物である。新幹線で青森に行って折り返し、横浜まで行って戻ってくることも可能である。東京往復に限っても通常のより5000円以上安いお買い得な切符である。14日から値上げするので、反発回避のための懐柔戦略の一環なのかもしれない。
この切符のせいなのか、新幹線は通常よりもかなり混んでいた。帰りなどほぼ満員で、上越線には立ち客を見かけたほどだ。実質賃金が低下する世に、価格にはみんな敏感なのである。
【入場のコツ】
東京駅中央南口から向かったのは皇居桔梗門である。日に2回「一般参観」がある。その午後の会への参加のためである。
予約なしでも12時半からの整理券を入手すれば入場可能である。定員は300名とのことだが、12時前に受け取った整理番号は65番だった。これさえあればと列を離れたのだが、そのまま止まっていた方が賢明だったかもしれない。最後尾にならび直すと、なぜか数十人づつしか桔梗門を通さないために、長く立たされてしまうのだ。
ただし、その後に売店付属の待合所に集合、待機させられ、同時出発となる。日英中韓スペインの言語による説明の後、各言語ごとにまとまって移動開始である。6日は日本語グループが最大で200人を超えていたような気がする。当然に高齢者が多い。
【道路補修に予算を】
富士見櫓から二重橋までを回遊するコースで、距離は2キロ近くある。しかも路面がでこぼこなところが多く、体力を消耗する。連れの家人など、参観終了後に桜田門から外堀通りにでたあたりで足が変になって歩けなくなった。まさしく「桜田門外の変」である。
【お隣の2階の物干し台】
伏見門も蓮池濠の石垣も素晴らしかった。通行路は、化粧仕上げした切り込みはぎとなっている。建築で見栄を張っているのだが、徳川の組織力を痛感し、とても敵わないと、叛逆の気分を失わせる効果があるのは確実である。
驚いたのが「宮殿」である。認証などの重要国事が行われる現代の二の丸とでもいうべき施設であり、東側の長和殿は一般参賀の光景でおなじみである。
お立ち台はそれほど高くない。TV映像などから、遠くの高みから見下ろすというような印象だったのだが、最前列からはすぐそこの物干し台という距離感である。極めて間近であり、パチンコ玉が確実に届く。奥崎のような輩いるかぎりガラスによる防御はやむを得ない、というのが感想である。
【プリズン千代田】
ご一家は宮殿の背後にある御所に住まわれる。すべての行動を管理される。銀ぶらはおろか、皇居内であっても自由に散策できない。実に窮屈な生活を強いられる。皇居は日本の中心地でありだが、一等地に住んでいるという喜びなど感じられないだろう。ほとんどプリズンなのだ。その様な生活を強いて、申し訳ないと思う。
【歌舞伎座の午睡】
参観終了後、日比谷公園の大寒桜が満開なのを観た後、歌舞伎座に向かった。三月大歌舞伎の夜の部は「寿春鳳凰祭」と「三人吉三巴白波」である。
6、7キロを歩き、疲れが極致だったため、舞踊の「寿春」は寝てしまうだろうと観念していたのだが、その通りになってしまった。何しろ、日本画風の背景の前での、一流の音楽とゆったりとした踊りなのである。心地よく、寝るなという方が無理である。
【悪党どものすったもんだ】
和尚吉三は松緑で、座頭を堅実に務めていたが、良かったのはお嬢吉三の時蔵である。滑舌が良いだけでなく、感情移入が現代的なのだろう。ただの科白ではない、役の思いの伝わり易さがある。
話は荒唐無稽である。それだけでなく、親類家族の連鎖で因果が完結してしまうという、世界観の矮小さを感じる。そのどうでもいいしがらみの中で、悪党どもが盗み、殺し、親しみあうのである。黙阿弥って科白回しに独創性はあっても、人間観は軽薄なのだろうか。あるいは、江戸時代の世界観とはそういうものなのかもしれない。だとしたら、木阿弥の舞台から教訓をくみ取り、生きていく上で何かに活かすことなどできない。現代には無意味な「お話」である。
もっとも、ただ眺めて、奇麗だなーとするのが歌舞伎の本領なのだから、それでいいのかもしれない。
