【サクランボの目撃】
昨日、サクランボを目撃した。駅構内スーパーPivotでは毎年規格外のサクランボが販売されるのだが、紅秀峰一箱1500円であった。格安ではあるが購入意欲は生じなかった。粒が小さすぎる。種の周りに果皮が被っているといった体であり、果肉のうま味を想像できない代物だったのである。
今年は、生産量が4割減との報道がある。昨年もダメだったのに、今年もまたである。注文や入園を断る農園も出てきているという。今年の不作の原因は受粉の不具合らしい。開花期の寒さと風で、ミツバチなどが上手く飛べなかったというのだ。ニコチノイドなどの農薬による昆虫激減も一因なのかもしれない。
いずれにしても、人間の愚行の因果で、サクランボが宝石もどきとなった。そのような報いを受けているということである。
【Re虚報】
さて、朝日新聞に「Reライフ」に、ニッセイ基礎研究所中嶋邦夫主席研究員の「基礎年金底上げ、利点大きいが痛みも」という論説がある。編集委員友野賀世とのコンビによる代物である。
中嶋は、「基礎年金底上げ」の衆院可決を、「実施されれば、将来世代が高齢になったときに受け取れる年金額の水準が、現在の制度を続けた場合よりも上がり、世代間の不公平が縮小します。今の制度を続けた場合に発生する、現役時の給与が少ない人ほど年金の目減りが大きくなるという世代内の不公平の問題も解決します。メリットは大きいと言えます。」と評価する。増えるとはしていない。減り方が少なくなる、減るんだけどね、といっているだけである。その上で「三つの痛み」を覚悟せよという。
このコンビの常として、嘘とインチキまみれである。
【65兆円「流用」はなかったことにしておく】
第一に、「基礎年金底上げ」は、「厚生年金が目減りする期間を予定より延ば」すことで財源を創出し、「基礎年金の目減り期間を短縮」するとしている。
いつの間にか、厚生年金積立金65兆円「流用」はないことになっている。最も争点となった部分を引っ込めているのである。
その代わりに財源は、厚生年金のマクロスライドの延長によるとしている。中嶋は言及していないが、来年終了のはずが36年になる。一旦延長されたら再度の延長などあたりまえ、いつまでも続くということになりかねない。それが嫌ならもっと基金をさし出せ、というトランプもどきの厚労省ディールなのだろう。
【三つの大嘘】
第二に「三つの痛み」である。
痛みの一つは、マクロ経済スライド制延長による厚生年金受給額の減少である。中嶋は「減額が大きいのは給与が高かった人たちです」として、一般勤労者には関係ないかのようにいう。その上で、緩和措置は増税となってはね返ってくるので「よく考える必要があります」と否定的である。
二つ目は、「流用」だが、「基礎年金は全員共通」だし、厚生年金から基礎年金への拠出は以前から行われている。「新たに始めるわけでは」ないから問題ないとする。「初めてじゃないんだからいいだろう。減るもんじゃなし」の理屈である。初めてでも何回目でも、嫌なものは嫌である。しかも、積立金も受給金も自分の財布から他人の財布に移されるのだから、がっちりと「減る」。
三つ目は、それでもなお増税は不可避だから覚悟しとけ、である。「負担増が嫌なら、給付減を受入れるのか」とすごむのである。
【根幹をおざなりに細部に拘泥してみせる手法】
中嶋の言説に、生活者のリアルな視点はない。国民年金を3万円減らされたら生活できなくなるのだ。それは、在職老齢年金を受け取るような元官僚、大企業社員が3万円減額されるのとは異る。高額受給者の方が減額が大きいのだから我慢せい、で済ませることなどできない。 その上で、低賃金勤労者ほど国民年金受給額の比重が大きいのだから、受給額減額は打撃となるというのはただの脅しである。だったら、国民を困窮させるマクロ経済制度などとっとと辞めればいい。それだけのことだ。
【保険制度の軽視】
また、厚生年金の犠牲によって国民年金を救済することは、「世代間」のみならず「世代内」の不公平の解決になるとの主張は、保険制度からの飛んでもない逸脱である。
月100万の保険金で1億の生命保険に加入している人が、ある日、保険会社から自分の積立金を他人に「流用」するとの通告を受けた。その人たちは月100円の保険金で疾病保険に加入しているのだが、財源が不足気味となった。そこで「不公平の解決」のために、生命保険の補償額を一方的に変更し、さらに積立金を「流用」する。まあまあ、君は余裕があるのだからいいじゃないか、貧乏人の困窮も考えて見たまえ。そんな説教が許されるだろうか。ニッセイはこのような理念で保険商品を販売しているかもしれないが。
【保険制度の軽視】
公的年金の信頼喪失は、私的保険の格好の商機となるのは間違いない。その内に、「あてにならない公的年金よりニッセイの年金保険」というような広告が朝日新聞に掲載されるのかもしれない。