【でもしか職業】

 教員の成り手が無くなっているという。業務内容に待遇な見合わない、他に職がないから教員にでもなるかという職種になっているのである。文科省や各県教委は対策として、試験の前倒しを奨励、実施するようになった。民間に決まる前に合格させて人材を確保しようという、いわば「抜け駆け」戦術である。

 しかし、これが功を奏していない。朝日新聞によると、

 「秋田県は1週間早めたが、小学校の採用見込み110人に対し、受験は108人(同19人減)だった」

 試験を早めても人気が高まるわけではない。受験者は全く増えないのである。

【両天秤にかけられて外される】

 また、早く合格を出しても辞退が相次ぐ。

 「8年前から前倒し実施をしてきた高知県では今年、小学校教員試験の合格者280人のうち204人が辞退し、採用予定の130人を大きく割り込んだ。」

 その結果、教員定数の定員割れに歯止めがかからない。生じる事態は低能力教員の増加という質的劣化だけではない。授業時数を確保できなくなるという、教育の量的な空洞化も生じる。

【お得意の民間との比較】

 企業の採用を考えてみよう。優秀な人材の確保は試験の実施日によって決まるのだろうか。しかし、いくら解禁日制度が無くなったとはいえ、試験の早期化には限界がある。入学直後にまで早まるわけがない。どうしても実質的な解禁日がなんとなく成立することになる。その曖昧な解禁日において横に帯状となるスタートとなっている。抜け駆けなど不能なのだ。

 また、ペーパーテストのみで決めるのではない。事前の面接やOBの推薦など、大学のAO入試のような仕組みが働いている。そこには、露骨な大学ランクも作用する。Fランク大卒業でも、優秀であれば、人間性にすぐれていれば採用されるなどというものではない。

 県教委が企業に張り合うなら、同じ手法で対抗しなければならない。それができるのだろうか。その仕組みの導入は県教委内部の人事にも作用することになる。縁故、派閥人事が露骨に公然化し、世の指弾を浴びるようになるだけである。そのようにする能力も覚悟も、おそらくはないだろう。

【低品質で量的確保】

 受験者の側からすれば、就職先を決める基準は勤務条件である。優秀なものほど、生涯収入、勤務時間、福利厚生、社会貢献などにおいてより好みできる。どうしても教員になりたければ私立選択ということになる。

 勤務条件をなおざりにして、競争条件がどんどん劣後していくのを放置しておいて、受験者が増えるはずがない。小手先で誤魔化せるのは、あまり優秀ではない学生だけである。学生をなめるんじゃない、といっておきたい。

【社会の劣化】

 かくして、公立学校は劣等な人材による、不十分な内容のサービスしか提供されない教育現場となり、ビンボー人の進学先となる。まるでアメリカである。没理性的なそのような社会では、トランプを支持する情動的市民が大量に培養、養成されることになる。子どもを私立に通わせているエリート諸君は、それをまずい、とは思わないのだろうか。思わないのだとしたら、あまり頭の良くないエゴイストということになる。

【有効な対策】

 対策がないわけではない。例えば、定員割れとなっている県では、採用を希望する教員免許保有者を一定の審査ののちに非常勤で採用する。その上で、特に問題がなければ一定期間(例えば1年)後に正規教員に任用替えをする。教員の能力とは、児童、生徒の指導に問題が鍵なのであり、一定期間問題なく勤務できるのであれば教員としての資質、能力を有すると見て構わない。長期インターンにおいて能力を見極めるようなものであり、ペーパーテストよりよほど実効性がある。

 また、定員割れで採用試験が有名無実化しているのだから、全員採用で構わない。勤務後に、正規公務員となるか採用試験を経て民間に移るの選択肢を迫られたら、大半は教員を続ける道を選ぶだろう。それだけで、採用予定人数に満たないなどという事態は回避できることになる。もちろん、民間大企業に劣後しないだけの勤務条件の整備は大前提である。

 ただし、10年ごとの免許更新などという、首を吊ろうとしている人の足を引っ張るような愚策を押し付けてくる人事権者のいる業界のことである。彼らに根本的打開策、英断を期待するのは無駄というものなのかもしれない。