【松葉咥えて冬ごもり】
晴天である。最後の「秋晴れ」となるのかもしれない。数日で雪が降りてくることになるらしいからである。その内にバイクでは走れなくなる。車を冬タイヤに履き替えるつもりはないから、長距離の移動はできなくなる。冬ごもりが始まるのである。もう一度、食糧と燃料と皮下脂肪の蓄えの点検しておかなければならない。
【掘り出し物】
さて、楽天ブックにバーゲン本欄がある。在庫半額処分コーナーという感じである。まれに、お買い得な本が紛れ込んでいることがある。田房永子著『男しか行けない場所に女が行ってきました』もそのような一冊である。
表題から、風俗レポートである。女性が取材するのだから独特の知見があるのではないかとのスケべー心を誘われて、つい購入してしまった。ところがこの本の価値は、風俗の蘊蓄にあるのではない。え、そんな商売があるのかと思わされる営業形態も取材されているのだが、サービスの具体的描写は乏しい。女性取材の限界なのかもしれないが、それよりも田房氏の資質が大きい。何しろ、身体的接触を情的に忌避する潔癖症なのである。
【目覚める不平等】
その代わりに、現代社会に対する田房氏の違和感が綴られる。取材が進むにつれてその類の見解が増えてくる。これが斬新である。
「たった一回、安全なセックスが金で買えたらどんなに健康に過ごせるだろう。男はそれが認められている。女はこうして苦しむしかない。…不平等さに本格的な怒りを持つようになっていった。」
男の性欲は認証され、その解消のためのサービスが公然と商品化される。犯罪行為でさえ大目に見られるところがある。「男達は、こんな快適さを生まれ持って手にしている。」
日本の社会には男優位の仕組みが随所にビルドインされている。「この世界そのものが男による男のため」にあるのであって、風俗はその一つというか、極致なのである。女性は、男の特権に怒るべきなのだが、いつしか憧れ、嫉妬するだけとなってしまったりする。
好奇心が満たされず、利己心を痛罵されるのだから、男にとっては嬉しくない本である。売れないのも仕方がない。
【怒りのあげくの拒否】
しかし、田房のような、静かな怒りが女性の間に広がっているのだろう。かつての中ピ連や田嶋陽子のような大声、大騒ぎではない。静かな拒否の実行である。
例えば、男社会からの離脱するために、田舎から大都市へ移動する。挙げ句の果てに限界集落である。男の幸福のために女性を抑圧するような社会はもはや崩壊しかけている。
また、結婚を拒否し、出産を回避する女性が増えている。その当然の帰結として男性の未婚率が増える。今や女性の2割、男の3割近くが未婚のまま生涯を終える。年間出生数は今年、70万人を切るという。女性に犠牲を強いることで成立する婚姻や出産の破綻である。日本人は民族として衰退を始めた。
【自由主義の効果】
皮肉なことに、男どもが好む自由主義、そこに派生する自己責任論が女性の行動を後押しした。というか、抑制する術を失った。日本会議がいくら眉を吊上げても、賛同するのは杉田のような愚かな女ばかりで、女性一般に受入れられ、その行動を変えさせるには至らない。
官僚の思いつきの政策も無効である。少子高齢化対策とは、子ども産んだら金を出す、子育てに金を出す、だから子を産めということなのだが、全く効果がない。様々な男優位の社会構造、特に労働における男女差別という根幹を温存したままなのだから当然である。
【馬鹿な男は男も拒否】
それではどうして男優位を変えようとしないのかということになる。行き詰まっているのが目に見えているのに変えられない。答は簡単である。男優位が快適だからである。バカでも無能でも、男であるというだけで優遇される。威張れる。こんな素晴らしいことはない。差別される側の苦悩など知ったことではない。この姿勢は、民族差別などあらゆる差別の大元でもある。
オバカサンが威張るための構造が社会を弱体化させる。それは普通の男にとっても大迷惑である。女性だけでなく、すべての人が立ち止まり、「はて?」と声を発して再検討を迫る必要がある。そんなことを気づかさせてくれた好著である。