【神輿を選ぶ】
アメリカも日本も首領選びで大騒ぎである。昨日は銀座に小泉が降臨し、5千人もの群衆が出現したという。蓮舫の選挙カーのときにはみられなかった熱狂である。ただし、場所は和光ビル前交差点であり、大半はただの買物客である。3割くらいは中国人かもしれない。受けたからといって総裁選に勝てるわけではない。
明らかにマスコミ向けの絵作りを狙ってのことである。日本の政治は、これからもこんな感じで、電通的な印象操作で進められていくのだろうか。安倍シンゾーでこれだけ惨めなことになっているのに、懲りない国民である。
【失礼にもほどがある】
さて、その小泉に、国際社会で「知的レベルの低さで恥をかくのではないか」と質問した記者がいたらしい。失礼という意見が多い。いくら真実でも、面と向かってバカで務まるのと聞くのは確かに失礼である。非難されるのもやむを得ない。
ところが、皇室に対して失礼どころか、無礼としかいい様のない見解を呈している輩がいる。メディアはプレジデント、筆者はあの八幡和郎である。
【日本に右翼がいないから良いようなものの】
「愛子様が活躍される未来」と題した記述の大意は次の様なものである。
天皇は悠仁に決まっているのだから、国民の人気をかさにきた愛子即位の議論は無駄である。第一、愛子は真面目過ぎ、回りの意見に逆らうことがあるから天皇に向かない。捨て扶持をもらって、皇族として暮らすのがふさわしい、というものである。あげくの果てには、外交官とでも結婚しろといっている。
無礼の極みであり、日本に右翼がいたらただでは済まないところである。
【俺は権威だという男は随所に出現する】
安倍、憲法で決められたことを勝手に変えてきた。決まったことは変えられるのであり、皇室典範も例外ではない。国民の支持する天皇に替えられるのならその方がよい。より良きものに変えるのであり、悪く変えるよりよほど良いことである。
天照大神の怒りを恐れてのことなのかもしれないが、DNAや何のと持ち出して男系天皇論を振りかざすのはさすがにもう止めたらしい。それでも愛子天皇にはどこまでも反対する。その頑迷さは、いったい何に由来するのだろう。
考えられるのは、その物言いに一貫する権威主義である。特に男であることの権威は皇室さえ上回る。それは、男である「自分」が好待遇や権力を得やすくするための基盤である。部下が男だと、逆らったり公益通報したりするが、女は従順であるような社会的圧力がかけられている。その成果として、安く使え、命令しやすい存在なのである。こんな便利な構造を愛子如きに破壊されたくはない。
自分の特権を享受するために、他人を不幸とする構造を変えたくない。それを守るべき文化だと言い募る。権威主義者の正体とはそういうものである。知性的に劣るのである。
もっともただ単に、「統一教会の指示があるから」なのかもしれないが。