【乱高下する株価】

 「史上初の東証4万2000円台」との見出しが躍った翌日に、たちまち1000円以上の値下がりである。第一、株価上昇といってもどこで上がっているのか不明である。日経に反映される大型株の一部が上がっているだけで、株価一般が上がっているようには思えない。当方の保有株など、4月の暴落前の水準にようやく戻ってきたという程度に過ぎない。これだから株取引は怪しい。まともなオトナは株になど手を出してはならない。親にそういわれたのを思い出す。そういえば家人も中学生の子孫にそのように話していた。「株に手を出すな」は、オトナの常識なのかもしれない。

【「株に手を出すな」は正しい】

 株に手を出すと損をするというのは真実である。ただし「一般論として真実」であるに過ぎない。大半の人間、おそらくは8割ほどの人は慣習と惰性に則って情念的に生きている。よーするに理性的思考と縁がない。そういう人が、楽して金を手に入れたいなどとの情欲にかられて株に手を出したら、儲からないどころか、カモられて大損をするのはあたりまえである。そういう意味で「株に手を出すな」は一般的には真理なのである。

 一般大衆はこつこつと貯金し、その数字が増えるのを楽しめばいい。ただし、インフレで減価したなどと嘆いてはならない。流されるがままに生きる人は、世の趨勢に左右され、時に憂き目を見るのは必然だからである。ボヤき、悩みながら生きていくのが大衆の宿命なのである。

【長者番付1位になる】

 2割弱の合理的に考える人は、インフレに抗う術を模索する。人の世の貨幣現象なのだから、人による打開は可能なはずだ。そのように模索する人にとって「株に手を出すな」は意味のない発語である。

 『わが投資術』という本がある。「個人資産800億円超」とされる投資家清原某の著作である。彼は「株に手を出す」ことで超富裕層に成り上がった。「株で儲け」たのである。一般大衆の常識に敢然と背く存在である。

 その投資方法を見ると、まるでコバンザメである。大手金融機関という鮫が金融商品を大衆に販売する。ある程度の利益がでると転売させる。するとそれまでの金融商品の対象となっていた株価が値下がりする。そこを空売りして儲ける。鮫が食い荒らした残りかすを漁るのが大もうけの秘訣なのである。

 あるいは、大手金融機関が手を出さない小型株を買い集める。小型だから数億円という少しのまき餌で足りる。サビキ釣りである。集まる魚は投資家であり、大衆ではない。雑魚は親の言いつけを守り、まき餌にすら近寄ってこない。ただし、投資家を介してなけなしの貯金の一部を吸い上げられる。それが清原の儲けの源なのだ。間接的には、大衆というイワシが彼の利益の源泉なのだ。

【時代を超える投資原理】

 清原は、確率論を弄して投資法の法則化を試みている。しかし、人の目には、確率的動作は映らない。人の世は雑多な要因がからみあう。確率が人間の理解の範囲内で完璧に出現することなどあり得ないのだ。確率論は、東大出らしい観念操作であり、投資手法に自信を持つための脳内遊技に過ぎない。

 実際には清原は、人の世の雑多な情報を収拾して判断している。そのための交友術は見事なものである。中でも、投資先の社長の人間性をみて判断するという原則が面白い。江戸時代の、評判のいい人にしか融資しない三井と同じなのある。人の世を動かすものは人なのであり、それこそが時代を超え、民族を超える、投資手法の大真理なのかもしれない。

【ナンピンの正誤】

 さて、ということで大半が値上がりする中で沈んでいる株がある。清原によれば、そういう株こそナンピン買いの対象であり、株が下がっている今こそ好機ということになるのだが、ホントかなあ。母親の「株になんか手を出しちゃ駄目だ」という言葉がまざまざと蘇るのである。母親が我が子の資質を一般大衆とみなしていたら、それはもう真実なので

ある。