【ぼやくしか熱暑】

 朝から暑い。植木に水をやっていたらもう発汗である。もっとも、春には1回で済んでいたジョロでの水やりが、今は5回である。それでも株なとぐったりして、もう嫌だ、さっさと収穫してくれといっているかのようである。外出を控えて家の中で大人しくしているしかない。猫と一緒である。

【ぼやくしか能がない芸】

 さて、昔「ボヤキ漫才」というのがあった。爺さんが婆さん相手に世の不可解を指摘し、憤慨して見せるという芸である。ただし、政治家や経済界の裏を暴いて見せることなどはしない。せいぜい流行歌の上げ足とりである。尾崎豊を耳にすることがあったら、「ガラス屋の手先かい!!もったいないことすな」とこき下ろしたに違いない泥亀である。

【コンサルタントというお座敷芸】

 で、昨今のWebにはこの手のボヤキ記述が満載なのである。例えば13日のプレジデントon-lineに某コンサルタント会長による政治家批判がある。失われた30年で日本経済はボロボロ、少子高齢化でお先真っ暗。それなのに自民党の面々は金まみれで政治家のつとめを果たしていない。野党もいい加減であてにできない、と大いにぼやいて見せる。

 それではこの御仁に打開策の提言があるのかというと、「もっと政治に関心を持たなければなりません…実行力を有する政治家…を見極めて選ぶのがわれわれに課された義務だ」である。何もいっていないのに等しい。

【ぼやくしか能がない芸】

 それだけではない。政治が経済成長に有効な手を打てなかったとか、財政赤字は社会保障支出のせいだとかの「嘘」を忍び込ませている。自民党政治家が聞いたらさぞにんまりすることであろう。経産省がヘタに介入するから成長の芽が摘まれてしまうのであり、防衛省や国交省の大盤振る舞いのせいで累積債務が摘み上がる。そのような事実が隠ぺいされてしまう。怒っているかのように見せかけて、実は裏では手を握りあう政府のオトモダチなのである。

【毒を忍び込ませる芸】

 最後に与野党再編の音頭をとるかのようにまとめているが、それもまた自民党の常套手段である。政党の名前を変え、政治家が離散集合すればれば世の中が変わるかのように期待を抱かせる。常套の幻術である。そんなものすぐに瓦解し、すぐに自民党政権が復活し、前の政権は最悪だったと批判しながら最悪最低の政治をくりひろげることになるのだ。

【責任者はお出ましになってくださいませ】 山口二郎のお説を拝聴しても同じことである。高踏な左派のぼやきでしかない。流布される言説は全て党派的であり、中立、真実であることなどない。問題は悩んでも祈っても解決されない。ぼやいても無駄なのである。できる手を打ってみるしかない。個人として、最悪の中の最善を見極めて権利行使する。誰がよりましか、決定権を与えても大丈夫か判断する。それしかない。

 みんながふざけた投票をしなければ、他候補を追い回したり、候補者掲示板を不足させるような愚劣な連中などすぐに消滅するはずなのだ。ふんとにもう、責任者出てこい!!