【サクランボの季節】

 雨である。明け方のひと時のはずだったのがずっと昼まで降り続いた。まるで梅雨時のような降り方である。異常気象続きだとはいえ、まさかこのまま梅雨入りするのでは、と懸念する。

 今年は、サクランボの知らせも早い。実は先日、某会食のデザートで1個だけ食している。すでに流通しているのだ。6月にはいったら情報収集に努める必要があるのかもしれない。あっという間に終了、もうありませんなどということになりかねない。

【珍説を載せる珍現象】

 さて、東洋経済on-lineに「社会保障拡充に協力的な財界と反発する労働組合 子育て支援金をめぐる日本の摩訶不思議な現象」と題する

権丈善一 慶應義塾大学商学部教授の論説がある。「労働界が反対し、経済界が協力的という世界的にみてあべこべの珍現象が日本で起きている」と補足ている。

【社会保険は保険ではない!】

 権丈の主張は次のようなものである。

 「…社会保障が行う再分配の主目的は「消費の平準化」と「保険的再分配」である。…労使が、賃金比例で財源を折半で拠出する方法が、19世紀末にドイツ帝国で考案された。

 …これは、私保険のアナロジーによって社会保険と呼ばれたが、この所得再分配制度がはたす役割の本質は、「支出の膨張」と「収入の途絶」に対応できない賃金のサブシステムであった。」

 社会保険は保険ではない、再分配制度だというのである。もともと社会保険を論ずるつもりはないのである。社会保障を社会福祉としてのみとらえている。

 「…諸々の事情ゆえに支援金に反対しようと決めている人たちは、医療保険の賦課・徴収ルートを活用する側面をとらえて、「医療保険料の流用」と言いたいようであるが、実態はまったくそうではない。…誰が、どういうふうに反対するのかは事前に予測できていたことから考えても、この件、話せばわかる話でもない。」

 と反対を揶揄しているが、勝手に土俵を作り、みんなが利用する土俵に乗るつもりがないのだから話が通じるはずがない。

【少子化対策は高齢者問題を解決しない】

 第一、高齢者向けの社会保険の財源確保のためには少子化問題解決が必要だとするのがとんちんかんである。これから産まれてくる子が社会保険料を納める頃に、現在の高齢者は存在しない。少子化対策は、高齢者福祉のための財源確保にはならない。それはこれから老齢化する現役世代の課題なのだ。

 それでも、高齢者は後の世代のことを考えるべきだとの論があるかもしれない。しかし高齢者は遺産を残す。不公平はあるかもしれないが、遺産は「子ども・子育てを支える」家計への貢献となる。高齢者の社会保険料負担増大は、次世代への贈与を縮小させることでしかない。

【少子化の解決は賃労働の改善なしには不可能である】

 「制度の持続可能性を脅かす最大の要因は少子化である。そこで…制度における持続可能性、将来の給付水準を高める」必要はある。しかし、そのためには、少子化をもたらした原因の解決なしには不可能である。

 少子化が生じた最大の原因は、95年以降の財界の賃金抑制策にある。非正規労働の拡大である。まともに働けなくないから結婚できず、子どもを持てない社会となってしまった。そこを転換しない限り、いくら綺麗事を並べても、政府が金をつぎ込んでも子どもが増えることはない。財界は金を出すつもりはなく、妄説に賛成してやったふりをしようとしているだけである。労働組合が反対するのは当たり前ではないか。 珍現象とは、このような人物を教授として雇っている大学、妄説を無批判に拡散するメディアが存在すること、それ自体である。

【真っ当な議論が必要である】

 消費税増税の口実とされながら、社会保障の充実など見られない。医療保険や雇用保険の保険料は、政府の恣意的な政策のための財源として利用されるようになってしまっている。その上にまた、子供支援を口実とした上乗せ保険料である。国民が、いい加減にしろと怒るのは当然である。

 公的扶助と社会福祉は税を財源とする。支出増加が必要なら応能負担で徴収する。政府は社会保険に事務処理で貢献し、拠出保険料と積立金の目的外の運用は一切しない。そのようにすればいいだけのことである。このような妖術的論説に惑わされてはならない。