【寅子に怒られる】
特にすることがないので髪を切ってきた。家人は美容室に、当方は格安チェーン店である。ヘアスタイルで装う必要を感じないというか、あきらめているというか、短時間で済むのが何よりである。
担当が男性店長となって安堵した。前回はオバサンで、それがどうもしっくり来なかった。側髪部分が十分に調髪されていない感じがつのったのである。「できれば男性の方にお願いできませんか」というのが正直な思いだったのである。寅子チャンに怒られる。
【性差ではなく経験差】
女性敬遠には同性の家人も同意する。眼鏡屋での調整の際、男性店長ではなくオバサンが受け持ちになると落胆するというのだ。技術力に歴然たる差があるらしい。
考えるに、女性は家庭中心の生活者だった。広く職業につくようになったのは戦後、特に近年の共働き必然化によってである。訓練期間が異なるのだから、技術力に差がつくのは避けようがない。男女の性差に由来するのではない。本質論ではない。
【民芸的な家庭生活】
社会はいまだに女性に家庭人としての貢献を期待している。米をうまく炊くとかジャガ芋を有効に活用するなどの資質である。そこに芸術的完成度は求められない。芸術的指向性を追求したら、弁当が間に合わないなど生活サイクルにおいて破綻してしまう。出費が嵩んで経済的にも行き詰まることになる。とりあえず用が足りればそれで良しとする水準なのである。おふくろの味とはそのような、いわば民芸に対する評価のようなものなのである。
民芸的には、その場に応じた個別、具体的な処理が求められる。個性の発揮、普遍的、形而上的追及など不要である。幼いときからそのような社会的要請に流されれば、思考方式はそのように形成、確立されてしまう。例えば理髪において、理想の髪形を踏まえながら眼前の頭に合わせて整えるのではなく、同じ長さで切り落として乱れがなければそれで良しとする。理髪から普遍的な理は抜け落ち、調髪の技にとどまることになる。ただの仕事である。客の側からすれば、快適さが抜け落ちた受益ということになる。
【寅子ちゃんに期待】
もちろん男女差は割合の差で発現しているにすぎない。男にも個別的にしか処理できないのは多いし、中にはそれすらできな輩もいる。極めて個性的、理性的な女性もいるはずである。しかし、遭遇の確率を踏まえると、「男性にお願いできませんか」となるのは妥当な功利基準ということになる。
顰蹙をかうのを承知でいっているのだが、寅子ちゃんはその辺を理解している節がある。激昂するヨネさんとは異なる。「その手があったか」と、あっけなく配偶者を決める彼女のことである。賛同いただけると思うのだが。