【山形といえば肉そば】
昨2日、山形県中山町「あおば」の肉蕎麦を食ってきた。
昼時でほぼ満席だったが、平日のためか行列はなかった。
麺は機械打ちでちゃんと蕎麦の香りがする。ゆで加減は普通である。注文して5分ちょっとで配膳された。
汁は塩加減、出汁ともに普通である。かつお節が濃厚に効いているとか、煮干しが大量に用いられているとかの突出はない。例えるなら、麺つゆを適切な濃度に薄めたような、という感じである。ただし、化学調味料のまとわりつきはない。
接客も含めて、極めてオーソドックスである。このオーソドックスさの徹底こそがプロなのだろう。気を衒わず、日々同一にとどまり続ける。なかなかできることではない。そこに好感を抱く。
地元民に愛される所以を一つあげるなら麺の量なのかと思う。ともかく量が多く、100円引きの「少なめ」注文が用意されているほどである。椎名誠なら泣いて喜ぶ太っ腹である。「褒め上げたいそば屋」と称賛されるであろうことを請け合ってもいい。
【計画的行動の修正】
帰途、道の駅でトイレを借りざるをえなかった。下痢で切迫したということではないが、腹部に違和感が生じ、最悪の事態を回避するためには自動車道をおりざるをえなかった。昼に量を過ごすとてきめんにこうなる。移動では常に、次のトイレ候補地を計画、確保しておかなければならない。どこかにあるさ、は無謀、論外である。これが今の所、外出の最大の障害なのだ。
【ジャニーズを叩く卑怯】
走行中、ラジオでジャニーズの記者会見が始まった。NHKがなんと完全中継である。
中ほどで、男性記者の、加害を知りながら傍観したのであれば東山らも共犯であると悲憤慷慨した。同席弁護士に、事実関係と法解釈の両面からあっさり否定されていたが、この手の「正義感」が一般的なのだろう。立証も法知識もなしに鼻息を荒くする。追いつめられ、抵抗できなくなった弱者を攻撃する快感に酔いしれる。
しかし、「共犯」との指摘は、そのまま自分に返ってくる両刃の剣である。マスコミこそが「加害を知りながら傍観」していた最大の存在である。その責任は、所属タレントの比ではない。まごうことなき「共犯」である。正義の刃は、同席のジャーナリスト全員、その会社にこそ向けられるべきなのだ。その追求からは、指名されないことにいらだって声を上げていた東京新聞の望月衣塑子記者も逃れられない。しかし、素知らぬ顔で反撃できないタレントを叩く。その矛先をいつこちらに向けてくるかわかったものではない、あぶねえ連中だなあ、と思うだけである。