【弧光の伝統】
共通テストの過去問が公開されている。本試だけでなく追試も同様であり、今年の現社追試には「ゲーム理論」が出題されていた。時代遅れの感横溢である。
【根拠不明の条件の下のゲーム】
第1問問3で、武力紛争に関して、X国とY国の軍縮と軍拡の損得勘定を判断させる内容である。たとえば、X国が軍縮しY国が軍拡という場合には、X国に0点、Y国に11点という点数が計算される。2国間のみを想定し、互いに意思疎通できないものと条件付けられている。
点数が何を基準に設定されているかは不明である。X国が0点になるのは、世界に2国しかなく、一方的な軍縮で対抗力を失い、軍拡したY国に併合されるというような状態を示唆しているのだろう。国の主権を失うから0点なのである。
【ゲームは所詮ゲーム】
しかし非現実的というか、現在生じている問題解決にはなんの役にもたたない。むしろ有害である。
例えばウクライナは核放棄という軍縮を行ない、軍拡ロシアの侵略を受けた。しかし併合などされていない。主権は健在である。0となってはいないのだ。
対するロシアは、プーチンが暗殺を恐れるだけでなく、傭兵部隊が反乱を起こす混乱となっている。11点どころではない。ともに軍拡の場合に想定されている5点以下、というのが実態なのではないだろうか。
また、世界に2国しかなく、という仮定が荒唐無稽である。それが可能なのは世界最終戦争のみである。現実には192の国があり、先進国を中心にウクライナを支援している。ロシアは逆に経済にとどまらず、あらゆる交流を拒否される制裁を受けている。5点も怪しいのであり、ウクライナ侵攻はとんでもない大損となっている。
現実には、相手が軍縮しているときに軍拡して攻め込めば一方的勝利を得ることなど、ないのである。
【ゲーム理論で軍拡を】
しかし、ゲームだから、理論だからと臆面もなく出題される。受験生は正答を得るのに必死で、その吟味などおざなりになる。その結果、国際社会においては他国なんか信用できない、相手も軍縮してくれるとの甘い願望を捨て、軍拡をすれば少なくとも0になる事態は回避できる、その方が賢明であるとの「印象」を抱いて生きていくことになる。
じゃあ軍事同盟を強化しているアメリカは信用できるのかとか、ウクライナは世界から称賛されているのは軍拡の成果なのか、などの冷静な分析は(面倒だから)だれもしない。かくして、軍拡予算を肯定する世論がいつの間にか形成される。
【反資本主義的なゲーム理論】
不思議なのは、ゲーム理論は実は反自由主義的なのにどうしてもてはやされるのだろう、というところにある。
英国経験論は個人の自由を原則とする。
アダム・スミスは、共感に裏付けられた利己心の発揮が社会的調和を実現するとした。
ベンサムは個人の快楽原則が社会的善を実現するとした功利主義を提唱した。共感は夾雑物として否定される。
ミルは快楽計算に良心を導入することで、スミスへの回帰を試みた。
ロックは、そのような個人の投票によって形成される議会を国家権力の中枢においた。
共通するのは、各人が理性的に判断すれば、個人の総和である社会全体としては正しい答が導かれるという信念である。どう転んでも神はキリスト者を悪いようにはしない、のである。
【社会主義的であっても使えるもならなんでも使う】
ゲーム理論では、利己心を発揮する軍拡では、2国の総和点数が最高で11点にしかならない。それに対して、軍縮で利己心を抑制すると20点となる。軍拡よりも軍縮、利己心を野放しにするよりも共感を求めあう対話の方が利益となる、という構造になっているのだ。これはもう、トランプ陣営にいわせれば、ほとんど社会主義の考えである。神の意志に逆らう危険思想である。
そのような理論が、新自由主義のこのご時世に、聖なる理論であるかのように絶対視され、全国統一試験で出題され続けている。実に不思議である。まあ、目先の利益に役に立つのであれば、悪魔の理論でも活用する。そのようなご都合主義にこそが資本主義の支配層の本性がある、功利主義の徹底であるといえば、それまでなのだが。