【国葬儀なんてことば】
明日、国葬である。岸田は「説明不十分である」ことを認めた上で「真摯に受け止め」て、それでも式を断行する。首相の「真摯」には意味がなく、国民への十分な「説明」などするつもりがない、ということである。いやはや、すごい国になったものである。
いやはや感は、「有名人」の反応からも引き起こされる。山上をモデルとした映画を国葬に先立って上映するのはけしからんとか、反対の意見が多くとも葬儀を批判するのは失礼だとかの芸能人の発言がWeb上に散見される。彼らは岸田のやり方を異だとは思っていない。
【安倍政権の評価】
安倍の評価は未だ定まっていない。というか、一部の人々が批判的な評価を受入れようとしない。その代わりに、肯定的な評価を拡散させる。いわく、アベノミスクで日本経済は回復した、安保法制で集団的自衛権容認で国民を守る体制を確立した、地球儀を俯瞰する外交で日本の存在を世界に知らしめたなどである。
それは、正規効用を崩壊させ、憲法を無視して軍事国家化に踏み出し、対米追随の徹底とほとんど同義であり、全く評価できるものなどではないのだが、7回も選挙に勝ったのだから国民が支持した。だから正しいのだ、といいつのる。
【冷たいオトモダチ】
国葬儀への異議申立てとは、それらの主張が破綻し始めたことを背景とする。阿呆な経済政策は、日本経済を途上国並みに後退させ、円安という日本売りを招いている。軍事国家化は防衛費倍増の根拠となり、財務悪化、社会保障の劣化を引き起こそうとしている。外交的功績に関しては、大嘘だったことを国葬儀そのものが立証している。国葬儀の参加人数は6千人の見込みを大幅に下回る4300人である。G7首脳の誰一人として出席しない。安倍に対する評価とはその程度なのである。エリザベスとは雲泥である。
お友達のウラジミールが来れないのは理解できる。ウクライナ侵略に忙しくてそれどころではない。トランプも機密文書や虚偽財務の追求似対して超能力で対抗するために精神統一しなければならない。唯一参加予定だったトルドーも、家屋20軒が浸水するという大災害が生じては外遊などもってのほかである。みんなそれぞれ事情があるのだ。安倍は運が悪いとしかいいようがない。
【統一教会問題という暗雲】
安倍政治が公私混同の庄屋政治水準であるのはモリカケ桜問題で立証された。隠ぺい、改ざん、廃棄で強圧的に否定してみせることで、この国の法治主義がお題目に過ぎないことも露見させた。しかし国民は、そんな面倒くさい言葉の応酬にはついていけない。何となくうやむやになりかけていた。
しかし統一教会は別である。何しろ安倍は、日本の金と女を半島に貢ぐカルトと昵懇だったのである。それが安倍のいう「美しい国」の実態だった。そのような女衒モドキを、天皇に準じる扱いをしていいのだろうか、それも国葬でも葬儀でもない国葬儀というまやかしの命名をしながらである。まてよと国民が立ち止まるのは当然である。非礼かどうかなどを考える以前の反応である。法的根拠とか、国会審議の有無、膨大な費用などからではない。
【判断停止という無能】
それでも国葬儀は強行されるのだろう。いまの政権で決定を撤回できる意思力を有するのは萩生田くらいのものである。ところが肝心の彼が統一教会問題の渦中にあって動きが取れない。岸田を筆頭とする他の連中は、まずいのかも、破滅に向かっているのかもと思いつつ止められない。無能者の開き直りの言葉は「決まったことだから」に決まっている。
TVは延々と中継するのだろう。そして国民はあの昭和天皇崩御の時のように、ああまたやっている、まだやっているのかとばかりに電源を落とす。そしてTVってつまらないとの思いを固着させる。既存メディア離れは加速されることだろう。一番最初に解体されることになるのは、やっぱりあそこだろうか。